衣食住医
文・金子夏枝
1985年春。友人から頂戴した味噌、醤油、塩という調味料セットをきっかけに
食養〜正食〜マクロビオティックが生活の礎に。
以来、20年余。それなりの時間を経て体得したことがあるとすれば、
それは「ひとは食べたとおりの身体になる」という境地なのでありました。
17.01.05(木)
子供の頃のことを思い出してみたら。


小さい頃の私の特徴はと言うと、いつも何かを空想している、いたってのんびりとした女の子だったと思う。


大きな柘植の木に登り、かっちりした安心できる枝の上で寝るのが好きだった。


あの柘植の木にはお世話になりました。


家を壊した時に庭の木々も全部切り倒してしまったのだけどせめて柘植の木と柿の木には挨拶に行くべきだった。


そう思っても後の祭り。


母は私に白い藤の木を残してくれようとしだけどタイミングが合わず藤も始末されてしまった。


横浜港から船で帰るデヴィッド・ボウイの見送りに持っていったあの花です。


良い香りがする花でした。


ごめんなさい、引き継げなくて。


子供の頃、庭に植わっていた花や木を思い出すと意外なものが記憶に残っていることに驚く。


例えばほおずき。


あれはなんで庭に植わっていたのだろう。


お盆の時に使うからだろうか。


必要な分以外は遊びに使わせてくれたから子供の頃は嬉しかったけど。


そういえば私は妙にほおずきというものが好きだった。


海で取れる海ほおずきも好きだったし、千成ほおずきが道端に生えているのを見つけるとすごく嬉しくて無事に育つといいなあと通るたびに見守っていたっけ。


庭にはたくさんの庭木がありそれなりに花や実をつけて家族を楽しませんてくれたのに感謝もせずに始末をしてしまったことを今更ではありますが申し訳なく思う。


それは久が原の時もおんなじ。


母上が好きだったニュードーンというツルバラやタイサンボク、乙女椿などなど、みんなにお別れもせずに越してしまったことが悔やまれます。


家のシンボルツリーだったヒメシャラもごめんなさい。


いたわりの言葉もお礼の言葉もかけずに引っ越してきてしまった。


こういうところがいけないのだな、私は。


もっと心底から洗いざらい改めなくては。


一緒に暮らしてくれた植物さんたち、ありがとうございました。


むざむざと始末してしまったことをお詫びいたします。


ありがとうございました。



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