万歩計日和
文/写真・mizugame
今日の写真
本日のネコちゃん。
17.07.01(土)
ふたりののぶひこさんが気がかりで・・・。(12,758歩) 



起床04:30 体温36.7℃ 体重51.0Kg。

記憶力が悪くて得することの一つは何度も同じ小説を楽しめること。

犯人を忘れてしまうので何度も同じミステリーを楽しめる。

エラリー・クイーンの『Yの悲劇』は一番好きなミステリー。

何度読んでもラストシーンで泣く。

今朝は図書館で借りた小林信彦の『昭和の東京、平成の東京』をぱらぱら読んでいた。

この本も前に読んでいる。

小林信彦が若い頃の本なので今よりもラジカル。

山の手の人(といちおう、言っておこう)の"善意"がつねに見当ちがいなのは、下町を見る眼が趣味的で、感傷的だからである。ふつうの新聞記事を見ているとよく分かるが、彼らの頭にある下町のイメージは、安藤鶴夫のエッセイと、落語の会話と、低俗テレビドラマのコラージュである。そうした生半可な知識が嵩じると、恥ずかしいような"通人趣味"が生まれる。
-中略-
現実に下町というのはあり、下町風俗というものも断片的には残っているが、そこは薄汚れ、みみっちい打算に支配されている場所であり、コラージュ的幻想による"下町"とは似ても似つかないことを人は知るべきである。そして、こうした現状を作り出したのが、戦後の、一貫した方針なき都政であることも、ぜひ憶えておいて頂きたい。

『昭和の東京、平成の東京』P-39より 初出:『言語生活』1970年6月号


ニューヨークでは、いつも、"文明を飼いならしている"といった印象を受ける。大都会に必然的に生じるウミのようなもろもろの現象をも、なるべく拡散させないで封じ込めるやり方である。
犯罪や人種問題を含めて、ニューヨークの否定面を挙げるのは容易であろう。
だが、この都会が、東京(及び、日本中の無数のリトル・トーキョー)や香港と画然と区別されるのは、超高層ビルに代表される大都市としての性格と、あくまで人間が居住し、生活を楽しむ場所だという当然の考えを両立させているところにある。
-中略-
現在の東京の抱えている問題と私自身の生活から判断すれば、政治家や役人に欠けているのは、東京でまともに生活する人間に対する想像力(思いやり)である。同様に、住んでいる人々にもそれは欠けている。人間が住みにくいことが「近代化」の証拠だといった、古めかしい考えを、まっこうから否定してもよいのではないかと私はひそかに考えている。

同書P-74より 初出:『読売新聞』1974年9月2日

それにしても週刊文春の小林センセの連載エッセイ"本音を申せば"は一ヶ月以上休載している。

恐らく病気だろう。

もう一人ののぶひこさん、大林宣彦監督も昨年の8月に肺がんでステージ4,余命半年と宣告されていたが新薬投与が劇的に効いて余命未定と言われている。

現在制作中で12月公開予定の大林監督の新作『花筐(はなかたみ)』は40年前にデビュー作として脚本が用意されていたいわくつきの作品。

何としてでも公開初日に大林監督には劇場挨拶していただきたい。

小林信彦さんも大林宣彦さんも60年代に強烈な刺激を与えてくれたエンタテイメントのお師匠さんのような存在なのでまだまだ長生きしてもらいたいもの。

ってなところで、本日は店仕舞い。
また、明日。


本日のキーワード

・Yの悲劇

・小林信彦

・花筐




本日の見聞録
・[読了]『渥美清の肘突き〜人生ほど素敵なショーはない〜』小林信彦著(岩波書店)

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