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・アメリカ乱入事始め/山下洋輔著 第四章その2
ハッピー・バースデイ・ディア・ベイシー

 七時三十分、会場を移して、コンサートが始まった。と言いたいところだが、これまたあきれるばかりの白痴ダンドリで、ここらでようやく我々も、今回の催しが、色々とうたいあげている大層な名目にもかかわらず、実は「大失敗」「極悪」「パーカーの名をかたった金もうけ」「イナカシバイ」というような物ではないのか、と疑わざるを得なくなってしまったのだ。
 地元フルバンドがオープニングをやり、司会者が出て来たが、広い会場には客はパラパラだ。何しろ二百ドルというジャズコンサートでは考えられない額をとっている。総スカンを食ったのかもしれない。業界関係者には悪夢であるこの光景に、司会者はメゲる気配もなく「本日は一人一人の方に音が届きやすい状態で」などとフォローしてマバラな笑いを起こす。「ヒュウ・バット・ビューティフル・オーディエンス」と同じで、こういう状態を泣きながら良しとする言葉はあるものだ。
 さてそれからが、一向に始まらない。ステージの上にウディ・ハーマンバンドの連中らしいプレイヤーが一人二人と来てダラダラと席に着くが、そのうちまたダラダラと立ち上がってはどこかへ行ってしまう。かわりに、フレディ・グリーンの姿が見えたりするので、お、ベイシーバンドが先か、と思っていると、この人たちも椅子の様子を調べてはいなくなる。何か「コショウ」が入ったに違いないわけで、ま、大体こういう時は、誰かが来なくなったか、やる方やらせる方のどちらかが、ゼニカネの約束が違うと言い出しているということが考えられる
 リチャード、天草のCIA連合がすかさず行動を起こし、真相をキャッチしてきた。それによるとやはり、
 「演奏前に金をくれ」
 「今はない、後で必ず払うから、とにかくやってくれ」
 「金を貰わなければ出来ない。おい、みんな、引き上げる」
 という典型的なやりとりが行われていたらしい。翌日の新聞にはさらに詳しく報じられたそうで、
 「今すぐ金を持って来い」
 「小切手が事務所の金庫の中にあるが、もう時間で、閉まってしまった」
 「そんなことは関係ない。金を貰わなければやらない」
 ということだったそうだ。これを、馬鹿江戸っ子となって、「おう、いいってことよ。困った時はおたげえさまだ。やってやろうじゃねえか」ってんで、金を先に貰わずにやるとどうなるか。
 「いやあ、有難う。有難う。よかったよかった、お陰でお客さんも大喜びだよ。じゃ、金は送っておくから。あ、そう。今日からずっと旅? ああ、あそこへ行ってここへ行って。分った分った、間違いなく送るから」となって、以後、八十五年たっても金は来ない。
 「どうしたんだ」
 「おかしいなあ。ちゃんと送ったんだが」でオシマイとなるのだ。
 これが天下のベイシーだろうがハーマンだろうがどこにでも公平に起こる可能性がある所がこの国の特色だ。
 モメている間に、表彰式が行われた。プログラムに書いてあるプレイヤーの業績経歴を一字一句そのまま司会者が読み上げるという芸の無さで、一層ダラダラした雰囲気が蔓延する。それでも、故人や、来ていないプレイヤーの家族、代理人が、そのたびに出て行って記念の板状の物を受け取り、短いお礼のスピーチをした。皆、心から喜び感激しているようだった。
 ようやく、ハーマンバンドが演奏する。主催者が事務所を開け、金庫から小切手を持ってきて無事にバンドに渡したのだろう。バンドはソツのないステージはこびで、当然「フォーブラザース」を決め技に使い、若い白人サックスプレイヤーたちが張り切りまくる。後で聞いたら、今日がツアーの初日で初めてのメンバーが多かったそうだが、見事なものだった。ハーマンは、以前にワルシャワのジャズフェスでも見たが、つくづく「タタキアゲ」の「芸人」を感じさせる人だ。
 最後のテーマが終わり、拍手の中でハーマンがマイクに向かい、あざけるような調子で何かわめいた。
 「何て言ったんだ」と天草に聞いた。
 「誰それは、ホモセクシュアルだ、と言ってますね」
 「どういうこと」
 「金のトラブルで怒って、地元関係者のことを言っているんでしょう」
 「なるほど」
 「結局は、イナカモノを馬鹿にしているわけですよ」
 天草理論がここでも確立されてしまった。
 ブルックマイヤーが表彰され、トロンボーンのソロを聴かせた。仲々良いものだった。
 ようやくベイシーバンドが出て来る。勿論、ベイシーはもうこの世にいないのだが、実際にバンドを見るまでは、そのことが仲々納得できなかった。「このゆかりの地のカンザスで、ベイシーに会えて、一の関のジャズ喫茶「ベイシー」の菅原さんの話でも出来たらいいなあ。それを菅原さんに伝えたら喜ぶだろう」などというあらぬことを考えていたのだ。
 サド・ジョーンズが受けついだベイシーバンドはちゃんとベイシーの音がした。事前のトラブルでプレイヤーがナーヴァスになり、ベストの出来ではなかったという話があとで伝わってくるが、この、ベイシーにとって特別の意味を持つ街という背景の中で、やや緊張気味のその音はむしろふさわしく響いた。
 ベイシーの座っていた所に座っているピアノプレイヤーはさぞ大変だろうが、その人は皆から愛されている感じの、決してシャカリキに弾くことはないだろうという風な人だった。シャカリキになど弾く必要はない。誰も、今このバンドに座っているピアノ弾きをベイシーと「比較」しようなどとは思っていないのだ。とはいえ、どういう風になるのだろう。最初にピアノにソロが回ってきた時に、聴き手の緊張に答えるプランがちゃんと提出された。その場面では、フレディ・グリーンの至芸のフォービートカッティングギターが聴こえること。これがこの「ベイシーバンド」の根本的な美意識だったのだ。聴き手もバンドのメンバーもその場面でフレディ・グリーンのギターの息づかいを全身に浴びた。それを聴く為に、曲ごとに必ずまわってくるピアノソロの場面を皆が待ちこがれることになった。
 途中、褐色のゴムマリのような女歌手が出て来た。若い頃の都はるみ、といった輝きが姿にも声にもあって、一声でバンド全体をゆすりあげてしまう実力者だった。ギンギンに盛り上がった曲が終わると、彼女は「今日はカウント・ベイシーの誕生日です」ということをマイクに向かって喋った。八月二十一日にわざわざ合わせたコンサートだったのだろうか。「ハッピーバースデイ」をゆっくり歌い始めた。
 お誕生日おめでとう
 お誕生日おめでとう
 お誕生日おめでとう ディア・ベイシー
 お誕生日おめでとう

 ブルースの節が切々と響いた。ひょっとしたらこれは、ケネディ大統領の誕生日パーティーでマリリン・モンローが歌った「ハッピーバースデイ」以来の出来事ではないかと思っていると、追い打ちがきた。二番があったのだ。

 いくつになったの
 いくつになったの
 いくつになったの ディア・ベイシー
 いくつになったの

さらに三番でトドメをさした。

 お誕生日おめでとう
 お誕生日おめでとう
 皆、あなたがいなくて淋しいと言っているわ
 お誕生日おめでとう

 不覚にもわたくし、ここのところで、最早、こみ上げてくるものを押さえることが出来なかった。ちゃんとしたベイシーファンでもなんでもない者が、羽織袴姿でカンザスシティで泣いていては申し訳ないが、この際お許しいただきたい。
 自分一人だけというのも悔しいから、横目で調べると、明らかにテディ鴻上も泣いていた。ジャズのジャの字も知らないと言っていた若天(若き天才の意味)が、とうとうジャズ微菌に脳を冒されたらしい。いや、或いはこれは、演劇的感動として万人に届く、そういう出来事だったということか。
 ジョージ・ベンソンが出て来て、ベイシーバンドをバックにスイングテンポの早い曲をやった。
 バンドとはナアナアでなくむしろ逆であり、指揮のサド・ジョーンズとの間にブッツケ本番的火花が飛びかった。「この由緒あるバンドでソロをとれる程お前は出来るのかな」という対決姿勢さえ垣間見られた。伝統あるクラシックのオーケストラと長老指揮者と若いソリストという関係になんとなく似ている。
 ま、最近の得意技がすべて封じられて、ベンソン苦戦というところか。
 「構わねえから、ギンギンに今の自分をやって玉砕すればいいんだよな」と無責任なことを、急に涙の渇いた羽織袴男が申しておったのだった。
 結局、全部終わったのが十二時半だ。つまり五時間で、その間、音の出ていた時間は半分もなかっただろう。極悪無能詐欺コンサートだったかもしれない。しかし、最後にフレディ・グリーンが表彰され、とつとつとした口調でスピーチをし、その頬に涙が流れるのを見たりすると、やはり他では生じない時間の中にいるのだという気がして、すぐにも「これでいいのだから」と磯プロをなだめたくなるのだ。
 「すべてベイシーのお陰です。カウント・ベイシーがいたお蔭で、わたしはずっとやり続けることができ、今、ここに、こうしています。皆さん、ありがとう」と言って、フレディ・グリーンはスピーチをおえた。何十年もの間、ベイシーにぴたりと寄りそって出し続けてきた音がある。その二人だけの知っている秘密の回路から立ちのぼる音々が、一瞬、ステージに立って遠くを見つめている痩身な老ギタリストの全身を包んで輝いたようだった。
 怒ったり泣いたりの複雑な後味のままホテルに帰り、部屋で着がえ、バーに行く為に再びエレベーターからロビーに出ると、ギターケースを持ったフレディ・グリーンが入口から入ってきた。ステージで頬をぬらしながら遠くを見ていたその表情のままで、ゆっくりと歩き、エレベーターに向かってくる。周りに何があるか一切目に映らない様子だった。道をあけ、しばらく立ちどまって見送った。やがてエレベーターの扉が、もうしばらくは今現在の時空間に戻って来そうもないフレディ・グリーンの姿を隠した。

御当地のジャズメンたち

 翌八月二十二日。雨が降り、非常に寒い。十二時半にマサさんの働くステーキハウス「hibachi」に行く。鉄板を囲んで座る大きなテーブルがいくつもある広いお店だ。
 マサさん、ガンベルトに大小のホーチョウをブチ込んだコック姿で登場。
 「お肉でいいですね」といって、着物姿のコリヤン娘に材料をはこばせ、いろいろと説明しながら、焼いてくれる。とにかくこれは「ショー」であって、プレイヤーは各自客に受ける「ワザ」を開発しなければならないらしい。
 「といっても、大体は皆同じなんですけどね」
 「ほうほう、といいますと」
 「まずは包丁サバキですね」マサさんは、いきなり腰からホーチョウを引き抜くとガンプレイのようにあやつって、また腰のケースにおさめた。
 「ほうほうほうほう」
 「こんなのもあります」塩胡椒の入れ物を両手で摑み、マラカスのように振り、あるいはタイコのバチのようにリズミカルにテーブルに打ちつけ、放り上げて空中で受け止めたりする。皆、思わず拍手をした。
 「そういうのは練習をするんですか」
 「練習といってもバカらしくてねえ。なんとなくできちゃうんですよ」
 ま、結局あまりコダワラずにやれる人とそうでない人がいて、あまりサービスをしないとどうしても「御指名」が掛かり難いという。
 「え、御指名があるの」
 「そうですよ。誰それって、ゴヒイキがあって、ワザを出すたびに御婦人方がキャアキャア喜ぶんです」
 「なるほどね」
 「受けない奴のテーブルがシーンとしてたりなんかしてね。つまらなそうな客が隣のテーブルの方に見とれていたりして」
 「かわいそうに」
 「そうですよ。料理の腕とはあまり関係無いですから」
 「落ち込んじゃう奴もいるだろうな」
 「ええ。御指名が掛からなくて、控室で真っ暗になってるのもいますよね」
 包丁を両手に握りしめ、「おれはこんなにウデがあるのになぜ出番がねえんだ、畜生」と言いながら目を血走らせてブルブル震えている奴がいると思うと、オソロシイが、まあ半分は冗談だろう。
 「何でも出まかせでいいんですよね、例えばね」
 ステーキの焼き加減を聞き、レアと言った客の前にいきなり生肉のかたまりをドンを置く。「ディスイズ ジャパニーズ レアステーキ」これで大爆笑というわけだ。誰からともなく始めたそのようなネタというかワザは、大体仲間の共有財産となるらしい。時には誰それが秘伝を開発したという噂に、偵察に行くということもないではないが、ま、そこまで真剣になるものでもないようだ。
 失敗も多々ある。包丁の「ガンプレイ」で、手がすべり包丁が客の目の前まで素っ飛んだ。観念したら、テーブルの縁でグルグル回ってその客の方に切先が向いてピタリと止まった。その客の誕生祝いの食事だったという偶然があり、これは料理人のウルトラ御祝儀技だ、ということになって、その場は大拍手になった。
 「もうだめだ、と思ったんですけどね」
 マサさんは手練の早技で、肉野菜魚介類を切り、ヘラですくい上げて空中に投げるなどのきまりワザを出しながら、ジャズ探検隊一行にたらふく食わせてくれた。ランチメニューの値段で、ディナー分のものを出してくれたらしい。これは、昨夜以来、金のことも少しは考えるようになったらしい磯プロの報告だ。
 すっかり満腹し、「hibachi」から出て、「七輪」に行き、「カマド」と「ヘッツイ」をはしごして「火吹き竹」に転がり込んだ、というのは嘘。
 リチャードに送ってもらって昨日のクラブに行く。
 ニューヨークで予定されているレコーディングの為にピアノの前で一人で過ごす時間を持ち、アイディアを得たい、という希望をもらしたのだが、あの「ミュージシャンクラブ」(正式名は、ミューチュアル・ミュージシャンズ・ファンデーションだが、あの長ったらしいうえに訳語がよく分からないので勝手ながら「ミュージシャンクラブ」と呼ばせていただく)で、好きなだけ練習してよい、というおはからいがあったのだ。そこで、一人で夕方まで残るということにしたのだ。
 下の部屋は、皆が行き来するだろうから、と思い、上のホールに行くことにした。
 「一人でゆっくり練習できるかな」
 「大丈夫ですよ。上の部屋へ行って鍵かけちゃえば、誰も来ないから」
 という会話を残して、天草とリチャードが去ったあと、その鍵を持って二階の「ベイシー・セッションホール」(これも勝手な命名だ)に上がって行った。するとピアノの音が聴こえてきた。
 部屋のかたすみの、一番マシと見当をつけていたアップライトピアノに、一人の御老人が座って、ゆっくりとブルースコードを弾いている。デューク・エリントンをもう少し面長にしたような顔立ちで、上下白のスーツをびしりと着込み、左の胸ポケットには真っ赤なバラの造花をさしている、というお姿だ。
 音の区切れ目まで待って、一緒に来てくれていた事務所のオネエサマが近より、話しかける。「おう、そうかそうか」という風に、すぐに席を立って、代わってくれようとする。大きな暖かい手と握手をした。
 ピアノに触り、指が動くままにいじっている間も、その「紅バラ」紳士は、そこらをゆっくりと歩き回っている。その動きはどこかステージへの出入をかんじさせる気配もある。
 やがて、そばにやってくると、
 「下にもっとよいピアノがある。下に行ってやった方がよい」と言った。
 「ええと、それはつまり、これは練習で、その、一人がよいので、あまり人がいる所よりもむしろ、こもっていたいわけで、その、鍵も持っているんですけど」などということをどう言おうかと思っていると、
 「さあさあ、その方がいいから」と心からの態度で、腕をつかんで立たせんばかりなのだ。こういう時に、「うるさい、ワシは練習じゃ」と言って、その手を振り払い、御老人を部屋の外に押し出して、鍵をかけられますか。出来ません。
 「下でやれば、皆も聴けるじゃろうが」などとつぶやく赤バラ紳士のあとについて降りていったのだった。
 「さあさあ、あのピアノだ。いくらでもやりなさい」
 ステージに上がっていって、指ならしをしていると、どこから出てきたのか、ドラムセットに座ってブラッシュで叩き始める奴がいる。若い白人だった。つまりは、この建物の中で「一人で練習」などということは不可能なわけで、これじゃあ、仕方ねえってんで、セッションになるしかない。
 聴いているのは、最初は赤バラ氏だけで、さかんに拍手してくれていたが、しばらくたつと三、四人になった。上下トレーナーを着た漁師のような風貌のおっさんがいたりする。この日にはまだよく分からなかったのだが、つまりこの方たちは、全員もと何らかの形でジャズ・プレイヤーだったらしいのだ。昼間からここに来ては、ピアノを弾いたり、話をしたりして、余生を送っているというわけだった。
 一曲やって休んでいると、痩身眼鏡アフロヘアーの若い男が現れ、これが、事務所のオネエサマのつれあいだというドラマー、エヴェレット・ブラウンだった。ウエストコーストで、その筋で知る者はフリージャズ・ピアニストとバンドをやっていたキャリアがあると話す。じゃあってんでデュオで、フリーミュージックをやった。終わると拍手が沸く。いつの間にか事務所のオネエサマも壁際に座って聴いていて、ニコニコして手を叩いている。「ニューヨークみたいだ」と大声を出す人もいた。赤バラ氏だったかも知れない。
 結局全部で、「スリーステージ」やった。時間になったのでブラウン氏と話しながら、玄関で迎えを待つ。
 そこに、さっきから、落ちつきなげに部屋を出たり入ったりしていた、若い大男がやってきた。上下ビシリとダークスーツを着こみ、ネクタイで決め、つる細のメガネをかけている。ブラウン氏が紹介してくれて、少し話をした。
 トロンボーンをやっているティムで、スタイルは、J・J・ジョンソン、カーティス・フラー、スライド・ハンプトンだと言う。つまり正統派で年もマルサリスたちと同じ位だろうか。
 何事かにいらついており、右手に持った折りたたみ傘を、ひっきりなしにバシッバシッっと左手の手のひらに叩きつける。或いはヒモを手首に巻きつけて振り回す。するとヒモが切れて、傘が素っとんだ。いまいましげに拾いに行き、またいじくりまわす。
 「彼はアート・ブレイキーとやったことがある」と、ブラウンが言う。レギュラーだったのか、最終セットには許されるという「飛び入り」の共演だったかは分からない。
 「おれは、この街から出て行く。ニューヨークに行く」と、ティムは、吐き捨てるように言った。
 過去のミュージシャンの「養老院」的な場所になっているこの建物に、自分がそれでも、多分、毎日顔を出している、そのことに、いらだちを感じているのだろうか。「自分のいる場所はここではない」ということを、ティムの一挙一動が表していた。
 リチャードが車でやってくる。あしたセッションがあるかも知れないということを言いつつ、二人と別れる。ブラウンは、あしたまたな、という感じで手を握る。ティムは何も言わず相変わらず、いらだたしげな様子のまま、遠くを見ている。
 夜は、全員がチャックの家に招かれた。奥さんのジェシカと猫、女友達のシャーリーとテリーに会う。酒を飲み、ファストフッドのバーベキューを食べる。チャックは特別、ジャズやブルースについて演説をするなどということはなく、ただ上機嫌で酔っぱらっている。
 やがて、隣に住むかつての天才ニュージャズ・ドラマーだという親友を紹介してくれた。アールというその人は、十歳の少年の様に見えたが、実はおとななのだった。知的な明るい目を輝かせて皆と挨拶をする。チャックと冗談を言い合うその声も変声期前の少年のものだった。
 あしたのセッションの話をするとすぐに「ドラムセットは誰が持ってくる。それを使っていいのか」と聞く。やることを前提にしたミュージシャンの言葉なので安心した。
 やがて、夜の十二時近くになって、チャックの案内で、「シティ・ライト」という名のジャズ・クラブになだれ込んだ。若い白人ベーシストが黒人のピアノおじとデュオをやっていた。聴こえてきたのは、「オー・レディ・ビー・グッド」、「オール・オブ・ユー」となにかのブルースだった。
 次のセットにあがり、「ナウ・ザ・タイム」、「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」「オータム・リーブス」、さらにその場で出来たブルースコードの曲、などを弾く。
 ベースがしっかりしているので、何の心配もなく、どんどんやる。すっかり楽になってやっているうちに、何かしら「凶暴な気分」になってきたのには困った。高揚感が紙一重でこちら側に変わることがある。ま、逆に、「凶暴」がうまく「高揚」にすりかわることもないではない。でまあ、とにかくそんなこんなで、「暴揚」入り交って思いっ切り鍵盤をぶっ叩いていたら、ピアノの弦が一本切れた。
 この辺、業界関係者、特にピアノ貸出し管理方面の方たちは、休め、その他の方たちに重点的に行います。なのだが、この瞬間、「ザマアみろ」という気持ちが生じたことを、ご理解いただきたい。無理? んじゃあ、「ザマアみろ、なんて言ってごめん。好きで好きで仕方がないから、こうするんだよ。こうせずにはいられないからこうするんだよ。ほらほらほら、ローソクたらたら、アラナワぎりぎり」では?死ぬ?
 ま、とにかくシャブが切れ、じゃなかった、ヤノピのウンゲ(「弦」と言っているんだぜい)が切れるってことについちゃあ、こちとらにもよくわからねえところが色々あって、それで、暴揚入り交った状態のまま、グチャグチャほざいているのひょ、ベンカンてしうんくねえ、(「勘弁してくんねえ」と言っているんだぜい)
 「結局、ドレイの怒りってことじゃあないですか」
 「それがもろに出るのがミニクイってのは分かっているんだけどねえ」
 などと、ありもしない会話をテディ鴻上と交わしつつ席に戻って飲んでいると、喜んだベースのグレッグがやって来て、次もやろうと言う。客も喜んでいる。そういえば今回全くクーキャ(「客」と言っているん.........、あ、これはもういいね)のことを無視していたことに気がついた。
 次のステージは、最初に上がり「ソフトリー・アズ・インナ・モーニング・サンライズ」一曲やって勘弁してもらう。すると次に、やはり遊びにきていたらしい、パンクヘアーだが結構いい年の白人男が上がって、ピアノと歌をやったがそれはレオン・ラッセルのレパートリーだった、とこれは磯プロに教えてもらった。
 グレッグもセッションには来る、ということで、その日は結果的に二人の白人プレイヤーに口をかけたということになった。さらに彼らの友達が聞きつけてやって来たので、次の日の「ミュージシャンズクラブ」は「日頃見たこともない白人の奴ら」で一杯となり、その為に若干のトラブルが生じるのだが、それはあしたの話だ。

鴻上、北さん、美少女を張り合う

 翌八月二十三日。この日にとうとう、乱入五回という異常というか、もはや当然というのか、そのような事態となった。順を追って書いてみる。
 乱入「しょの一」、昨日の体験から、「クラブ」でピアノの練習はできないことが分かったのでそのことを磯プロに話し、磯プロ、リチャード、天草が色々別々の場所を探してくれていた。結局、適当なところがなく、窮余の一策で、マサさんに聞くと、ジャズ好きの旦那さんを持つ日本婦人がいて、ぜひ来てくれ自宅ののピアノを使ってくれ、という話が伝わってきた。遠慮などするヤカラ共じゃあありません。即、押しかけて、おれはピアノ、皆は歓談ということになったのだ。これを正式の「乱入」に数えてよいものかどうか疑問は残るが、これを数えないと。四回、という不吉な数になるわけで、ま、縁起かつぎの乱入ということだ。
 しばらく勝手に弾き、そのうちクタバッてソファーで寝てしまった。その間、皆は別の部屋で、ミヤコ夫人と歓談していたが、やがて全員がシンをなる瞬間がきた。
 十四歳になる、ひとり娘のレスリーが現れたからだ。いや、この子の綺麗なのなんの、鴻上と北さんは、その姿をひとめ見た途端、同時に両目を三十八センチ前方に飛び出させ、それから、すぐに相棒を殺そうと、デバボーチョーを探したらしい。以後、この街を離れるまで、この二人にとって「ジャズ」も「アメリカ」もどうでもよくなった。唯一美少女のドレイとなり果てて、一度のまなざし、一度のほほ笑みを得る為に、ありとあらゆる見えすいた手段をつくし、ありとあらゆる卑劣知能を駆使して、恋敵を葬り去ろうとしたのだ。
 やがてご主人の、フレイリー氏も帰宅する。元ジェット戦闘機のパイロットで、日本にいた時にミヤコ夫人と知り合ったらしい。物静かな人で、ピアノは彼が好きで持っているのだ。
 「もしかして、『ユーモレスク』の譜面はありませんか」とフレイリー氏に聞く。
 この曲をおれにレコーディングさせるという変質狂的意志を、なぜか、この旅の最初から磯プロは有しているのだ。フレイリー氏は黙って譜面の山をひっかき回し、硬い表紙のついたピアノ譜を見つけてくれた。
 その譜面には、うろ憶えで知っていた「サビ」のメロディーが載っておらず、頭からクエスチョンマークが五、六個飛び出す。
 そのうち、フレイリー氏がジャズピアノを習っていることが分り、披露してもらう。ノートに書きつけた、左手二声、右手三声のコードヴォイシングを律儀にさぐって鳴らしてくれる。メロディーを弾くよりも、五声のヴォイシングをちゃんとやる、というのが「基礎」のようだった。先生は黒人の「教授」ということだが、サルスベリ氏ではなかった。美少女レスリーもピアノを習っているようだったが、これははずかしがって、とうとう弾かなかった。この間、鴻上と北さんは、台所で、摑みあいをしている。
 時間が五時を過ぎ、「しょの二」へと場所を移動する。
「ミュージシャンクラブ」に行くと、チャック一派がすでに到着していた。グレッグ、アールの白黄リズムセクションに、レスター・ヤングを不機嫌にしたようなテナーのおとっつぁんが混じってどんどん始まる。とっつぁんは、最初にピアノの上においてあった、自分の得意技らしい曲をやったのだが、これは小節数が変則で、リズムセクションが少しがたついた。とっつぁんますます不機嫌な顔になって、「お前、間違えた」などと人を責めたが、さらに何曲か進み、なぜか「イパネマの娘」などというものを、これはリズムセクションの呼吸がばっちり盛りあがった時には、「ナウ・イッツ・ケイム・リアリティー」と言ってご機嫌顔となった。
 このとっつぁんが「仕事があるから」と言って去り、かわりに、グレッグの知りあいらしい白人アルトと結構無遠慮なピアニカ男がまざってきて、えんえんと始まった。見物人も増え、チャック一派、フレイリーファミリーという、ま、乱入客を別にしても、常連の「胸花じいさん」「トレイナー漁師じいさん」をはじめとして、このクラブ関係の連中が噂を聞きつけてあつまってきていた。
 さらにそこに、これはチャックのセッティングだったのだろうか、テレビ曲のニュースの取材チームがヴィデオカメラを担いで入ってきた。ライトがあたり、ますます騒然とした雰囲気になる。そして、この時に、クラブのメンバーの一人のイカリが爆発して、磯プロ、天草らに憤懣がぶちまけられた。
 「このクラブは、おれたちのものだ。おれたちが作って、おれたちが苦しいながらも維持してきた。それがなんだ、日本からきた奴がセッションをやるとなったら、普段は顔wも知らない白人の奴らがやってきて、わがもの顔にのさばってやがる。あいつら、この場所に、前にきたことなんかないのだぞ。それが、いかにもメンバーみたいな顔をしてテレビに映ってやがって、手めえらのやることはいつもこうだ。このファッキンシットサックマイアスの糞ったれ白人野郎どもめ」
 とまあ、このような内容のおことばだったという。
 そのあいだもステージでは、ますます盛りあがり、とうとうトレーナー姿の漁師顔のとっつあんが、意を決したように上がってきて、ベースを弾き出したりした。「オーヴァー・ザ・レインボウ」をやり、「やあ、まちがえたまちがえた」などと大変嬉しそうに騒いでいる。かとおもうと、「ナウ・ザ・タイム」の途中でニカウさんのようなおじきが、どこから持ち出したのか、トランペットを振りかざしてやってきて、「吹くぞ、吹くぞ、いいか、いいか」という顔つき、身振りで、演奏中のおれに合図したが、これはまた、昔取ったキネヅカが兎を追いかけて三丁目向こうの方を走っているというもので、その音と姿の「天真爛漫」さは、その場の全員を嬉しくさせた。ソロがおわった時には大拍手が起きたのだった。
 このニカウおじきは、休憩の時に、自分の次にソロをした、やや自己陶酔的仲々やめない的図々し的ピアニカ男をつかまえて、「正しいジャムセッションのやり方、その一、いやがられているのを知る方法お及びどのように『遠慮』をするか」というようなことを、諄々と説いて聞かせていたらしい。と、これは、北さんと目玉のほじりあいをしながらも、目撃人として役割をからくも果たしていた、テディ鴻上の報告だ。テディも仲々やめないピアニカ男にはアタマににきていたらしく、ニカウおじきを大変ヒイキにしたもののようだった。
 こうした騒ぎのさ中、外の方では、相変わらずイカリまくっている男が、「こんな時間に来たって、うまい奴なんかいるものか。うまい奴はこの時間は皆仕事だ。本当のジャムセッションが見たければ、夜中の二時過ぎに来い」とタンカをきっていたという。
 アグレッシブな鋭いドラムを叩いていた、アールが、ブラウンと交代し、「おれはそろそろ帰る。ユー・プレイ・フォー・ミー」と言って握手をして去った。「おれの為に」ではなく、「おれの代わりにやり続けてくれ」という意味だと思う。
 「あれが本当の『ブリキの太鼓』ですねえ」と鴻上が、北さんの喉を両手で締めながら言ったとか言わなかったという話があるが、アールは確かにタダモノではなく、久しぶりに人前に姿を見せる「伝説の人」という風格さえあった。
 テレビチームも去り、こうしてテレビと「乱入白人」がいなくなったところで、なんとなく「お祭り」は一段落、ということになった。
 フレイリー氏はフライドチキン、ビール、コーラなどをテーブルに並べ、皆勝手に飲み食いしている。そこでビールを飲んでいると、オバチャンたちがやって来た。やがて一人のグラマーオバチャンが近寄ってきて、おれの腕を抱え、北さんに写真を撮れとポーズする。キャアキャアと騒ぐ。オバチャンはのりまくって、ほっぺたをくっつけるやら、人の腕をとってどんどん自分の腰に巻きつけ、「ホールド・ミー・タイト」などと大声を出すという御狼藉だ。
 やがて、フレイリー氏が、「知り合いのバンドが出ている所に連れて行きたい」という。そうしようということになった。即ち、乱入「しょの三」だが、その前に鴻上が北さんの鼻の穴をカギヅメ状の指でかきむしりながら、「こら、ドレイ、ここなレスリーお嬢さまに最後に一曲やってご覧に入れぬか」とわめく。「へい、ダンナ様。ではボレロをやらせていただきます」と言って、一人で音を出しはじめると、すぐにブラウンがドラムセットに座り音を出そうとする。どことなく焦点のサダマらぬ目をしてフラフラしている。心ここにあらず風「フリー」な伴奏をしてくれようとする。
 仕方ねえか、と思いつつ続けていると、ずうっと見ていた「胸花じいさま」が、つかつかとドラムセットに歩みより、ブラウンに向かってきっぱりとした調子で何か言った。ブラウンは、しぶしぶというより、事態がよく分からぬままに、フラフラと立ち上がってセットを離れる。「胸花じいさん」は何事も無かったように、再びそこらをゆっくりと歩き回っている。
 「一人でやりたいと言っておるのが分らんのか、お若いの。少し遠慮してやらせてやったらどうじゃ」とでも言ったのだろうか。相変わらず、上下白のスーツで決めた「赤バラ老人」は、天草の調べでは昔ベースをやっていたお方だということだった。
 「本当に二時過ぎからまたやるか」「ああ、皆集まる筈だよ」「じゃあ、その頃にまた来るよ」という会話が交わされ、再来を期して一同外に出る。

乱入五回で夜もすがら

 ミヤコ夫人とレスリーは、いったん家に戻り、来られたら夜中また来る、と言って去る。去り際に、鴻上と北さんとどちらの方に、レスリーの美しくも可憐なまなざしが多くそそがれたか、ということで二人がまたケンカをはじめ、互いに相手のスネ毛を歯で食いちぎっている間に、車は街一番の高級ホテルに着いた。
 そのホテルの最上階の高級バーラウンジが、フレイリー氏のいう「知り合いのバンドの出ているところ」だった。タキシードを着た白人プレイヤーが三人でピアノトリオをやっている。お金持ちそうな白人男女特に高齢者多し、の一団がチャチャチャなどを踊っているという「ファンキー」とは程遠い光景だ。
 フレイリー氏がやってきて、「やりたいか」と聞く。
 「いやだ」と言って帰れば、天草、リチャードのコンビからこの旅の間中発せられているサインに従うことになるのだが、そうは言わなかった。連れて来られちまったものは仕方ねえ、ワラジを脱いじまったものは仕方ねえ。それに何より、ナマケモノとしては、ここまで来てツッパルのがメンドクセエのだ。
 「どうしておめえは、そう馬鹿なんだ。ええ。頼まれたものをどうしてそう何でもやっちまうの? しめしがつかないじゃあないか、んとうに。連れて歩いている者の苦労を分からなくちゃあ、いけませんよ」
 「あいすみません、おじさん、もう二度といたしませんので。えっ、八番さんでお呼び? あ、今、行きますよ。おじさん、それじゃあちょいと失礼して」
 「おいおいおい、だからそれがいけねえってんだ。なんにも分かっちゃあいねえんだから、おい、お待ちてえんだ、お待ちよ。行っちまいやがった、馬鹿が」
 てなことで、どんどん出て行って、「オータム・リーブス」と「イパネマの娘」をやる。ダンスをやめる者、何だといって見る者、いさい構わず踊り続ける者の三派に客は分かれた。バンドマンは、途中でギャハハハハと笑い出したりする。そういえば、昔、バー、キャバレーでこうしたアソビに行ったり来られたりしたものだ。店のマネジャーはイカるが、「すいません、友達が急に来て」と言って誤魔化せば、一日位ならクビにはならない。しかし、こういうのが毎晩、それもラリったりして入りびたると、ま、そのバンドは間もなくビークということになる。
 終わって、天草とリチャードの顔を見ないようにして、バーに行き、ジントニックを頼んでグビグビ飲む。 バーから出て、通路に立っていると、プラチナブロンドとアッシュブロンドの中高年女ペアが通りかかり、「とても素晴らしかったですよ」と熱心な口調で言い、すぐに自分たちの話に戻りつつ、どんどん去って行った。
 あとでまたクラブに行く、というフレイリー氏を残して、チーム一同は、ホテル「クオリティ・イン」に向かう。そこのライブスポットに、アーメッド・アラジン率いる「シティ・ライト・オーケストラ」が出ていて、これは是非とも聴かねばならぬというわけだった。
 バンドはカルテットで、ブラックベース、ブラックサックスとホワイトドラムにホワイトピアノ。このピアノが、昨晩ベースのゲイリーの店に飛び入りしてレオン・ラッセルを歌っていたパンクヘアー男だ。サックスがバンマスのアラジンで、全体のアレンジも個人技もよく、どことなくナウイ音の横溢するホットなバンドだった。
 呼ばれて出て行き、ベースおじと曲を決める。エリントンの「イット・ドント・ミーン・ア・シング・イフ・イット・エイント・ガット・ザット・スイング」という、ちゃんと言おうとするたびに苦労する名前の曲になる。もっとも、ベースおじは「ドンミーンナシング?」と聞いたのだ。略称はこれでよいらしい。これは手めえのソロピアノのアルバムのタイトルにもし、コンサートでもよく弾くから丁度よかった。
 ところでこの忙しい場面でなんだが、この曲名について前からアヤシイと思う節がある。Don't mean a thingは発音すると、Don't mean nothineと同じになりゃしねえかという、ま、余計な心配なのだ。後者は確か、二重否定とかなんとかになって、「無教養人の間違いやすい用法」と習ったおぼえがある。だから、文法的には、前者でなければならないが、「感じ」を出す為に、わざと後者のように発音するという意識が、これを歌う時に歌手に生じるのではないか、ということと、mean a thing と、mean nothing との発音の違いは、はっきり分かるものなのかどうかということと、じゃあ、それぞれの歌手がどっちを、どういう意図で歌っているのか、などということが、気になって仕方がないという、中学校、英語コンプレックス後遺症なのだった。
 こんなことを言っている暇もなく、演奏は始まり、こちとらもうええ加減バカになっているらしく、「なあにが、このクソバアッタレが」などということを、誰にともなくわめきながら、勝手知ったる曲を好き放題弾いてしまった。
 大拍手となり、これで去ろうかどうしようかと思っていると、客席から今度は、あのスピーディ・ハギンズが上がってきて、ドラムに座った。客は大喜びだ。早いブルースをやり、ドラムスと各楽器とのフォーバースで、スピーディは、貫禄と技の冴えを同時に見せた。大受けで、さらにそのままのメンバーでもう一曲「テイク・ジ・A トレイン」をやる。これが終わった時には「ほとんどスタンディングオベーションのような光景になってしまった」と磯プロメモにはあるが、そういうわけで、よかったよかったと、帰ろうとすると、さらにここに客席からもう一人の男が上がって来た。
 革ブーツをはいた白人髭男で、ピアノのところへやってきて、やあやあと握手をし、「あんた、フロリダでやっていた人か」などと聞く。「違うよ、おれじゃあない」というと、そうかそうかとうなずき、「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」を知っているか、それを歌う、という。ちゃんとやったことはなく、どこか「変」な曲だったという記憶があったので、その場でついて行くのもアブナイと思い、「よく知らない。すまない」などと言って立ち上がった。髭男は残念そうな顔で、「そうか。B・S&Tのやり方なんだが、知らないか」などという。パンクヘアーピアニストが来てくれて、交代し席に戻った。
 席では磯プロが、「ありゃ、あれはB・S&TのD・C・トーマスじゃないの。うひゃあ」などと言っている。髭男が歌い、ヤンヤの喝采を浴びた。
 それからさらにしばらく居たのだったかどうだったのか、もはやノーテンファイラに近い状態のまま、気がつくと再び「クラブ」にまい戻っている。
 フレイリー氏は今度は、スペアリブを差し入れに持ってきていた。ミヤコ夫人、レスリーもちゃんといた。それを見た鴻上と北さんは、すぐにお互いの耳を摑みあい、引きちぎろうとする。
 部屋中人だらけ、タバコのケムリだらけで、むせかえるようであり、やはり「昼間」とは様子が違った。ステージでは、ピアノを弾いている若とっつぁんがいたが、入って行くとすぐに、ヒイキらしい別のとっつあんがやってきておれの腕をとり、ステージのそばに連れていき、「このあとすぐにやれ」などと言う。
 この時はよく知らなかったが、ピアノの弾き較べを「カッティングコンテスト」といって、自分より「下手」だとおもったら、弾いている途中でも相手をカットして自分が座って弾いてよい、ただしその当否の判定は、見物人がする、というようなことを、「ジャズピアノの歴史」(ビリー・テイラー・音楽之友社)でのちに読んだ。経験的にもそうであって、ホーン奏者は、あらかじめ駄目といわれていない限り、順番さえ待てば誰でもあがって吹ける、というのが原則だが、ピアノは一人だから、誰がやるかというときには仲々微妙な自薦他薦的複合要素による情報判断がとびかう、ということになる。もっとも、大抵は来た奴から「早い者順」ということも多いから、そんなに深く考えることはないのだろうが、ま、とにかくここでは、「やあ、あいるがやって来た。早くステージに上げてやれ」という有難い雰囲気が横溢していたのだった。
 それで、あたくしが上がって、もう躊躇も遠慮もありません。
 「ワシ、どうなってもシランケンシュタイン!」などとわけの分からぬことをわめいて、それから朝四時まで弾きっぱなしだった。
 途中、様々に入り乱れたが、一曲だけ、ホーンを誰も入れずに終わったものがあった。ソロでフリーに弾き出して、もしドラムのブラウンと、ブルースクラブで初対面の皮肉屋ベース(あだ名を"ノーブル"といった)が、あきれて降りてしまったら、そのまま一人でぶっ続けてやれ、と覚悟を決めていたのだが、二人は、ウカツには手出しをせず、といってアキラメてしまうのでもなく、むしろ逆で、両側に全身を耳にして、入っていく瞬間が来るのを待ち構えているのだった。
 その気迫に引き込まれ、意を決して「ドンミーナシング」のテーマをぶっぱやいテンポで弾いた。すると、八小節聴いた途端に、両側から二人が、ビシリ、と入ってきて、そのままぶっ飛んだ。一拍一拍がガケップチで全部合っているという、同業者なら分かってもらえる極地の瞬間だ。長い演奏にする気はなかった。ピアノソロのあと、ドラムと掛け合いをするかベースソロになるかの分かれ目で、ノーブルとっつぁんは、強力なウォーキング・ベースソロに突入し、ワンコーラスを席巻した。ドラムスとの掛け合いも、ガケップチ極地のままワンコーラスで終え、そのままピアノアドリブからラストコーラスへすっ飛んでビシビシに終わってしまった。どこにもホーン奏者が入る隙は無い経過だったのだ。
 時々こういうことはあるので、つまり、ちょっとこれだけは、リズムセクションだけでやらせてくれ、おまあらの勝手な音でリズムセクションの貴重な蜜月の瞬間を邪魔しないでくれ、ということなのだった。ずいぶん威張っているじゃねえか、とてめえでも思うが、「リズム屋」には、特権的秘密回路共有団結意識と、ホーン奏者が来て吹きはじめたら何はともあれご奉仕する、というドレイ本能の両方があるわけであって、この宿命のアンビバレンツに思いをいたすことの出来ぬ管楽器奏者は、今すぐコエタゴまで走っていってそのまま飛び込んでいただきたい、と、かように申しておるのだ。
 ますます威張ってしまったが、ま、メデタい席だ、勘弁してくんねえ。
 てなわけで、これがその晩の「アタリ」の時間というものらしかった。
 この演奏を聴いた後、「はじめてバップというものの意味が分かった」と天草が言った。オバチャンたちが、わめき騒ぎ、「ヒーイズ・リアリー・バッピング」と叫んだ。さらに天草は、そのドラム、ベース、ピアノ一体のリズムが、「熟練の板前によって、超スピードでマナ板の上で切られていくキャベツのようにスリリングにスウィングしていた」と言ったが、これは、バップについて今まで誰も言及しなかった観点からのユニークな、しかも核心的考察といえよう。
 この前後はもうとにかくグジャグジャで客席には、いつのまにか、スピーディ・ハギンズや「シティライト・オーケストラ」のドラマーやチャックたちもいる。入り乱れてやりまくったわけだが、記憶がもはや定かではない。終わりの方の場面で憶えているのは、そうそう、ダークスーツの大男、トロンボーンのティムが吹きまくっている光景だった。
 何曲かの曲決めの時に、デュオでスローをやるのはどうかと思って、J・J ・ジョンソンの「ラメント」のメロディーをちょっと弾いてみた。ティムは振り向き、「ヤアヤア、それはよい曲だ」と言ったが、はっきり知らないようだった。いやしくもアート・ブレイキーとやろうというトロンボーン奏者が、J・J ・ジョンソンのこの名曲を知らねえったあなんでえ、え、おめえさん、と、らもうとしたが、そういう無駄なことをしている気力がもはやない。そうなったらなったで、今度は向こうに、じゃあ、手めえこのピアノの神様たちのものを全部やってみろと逆襲されて、ハダシで逃げなければならない。
 ティムはやっている途中で名刺をくれた。ティモシー・ウィリアムスという名だった。そして、この忙しいさ中に話がとぶが、翌年つまりこれを書いている今年(一九八六年)三月頃に、日本にやって来たアート・ブレイキーのバンドのポスターを見ていたら、トランペットがテレンス・ブランチャードで、トロンボーンががティム・ウィリアムスとなっていた。あれれれと思って顔写真を見ると、これが、この奏者のところだけがシロヌキとなっていて正体が分からないのだ。同姓同名のトロンボーン奏者がいる、と考えるより、このティムが、写真が間に合わない程の急なチャンスを摑んで、とうとうこの街から出て行ったのだ、と考える方が自然に思える。
 ま、このようにして、全員ヘトヘトになるまでやり、気がついた時には午前四時だったというわけだ。この日の、「しょの五」がようやく終わったのだった。

カンザスや兵どもが夢の跡

 ピアノから降り、ビールを飲み、色々な人と握手をする。チャックもやってくる。酔っぱらっており、狂的な顔で、一語一語噛みしめるように、自分のセッティングがこのような「成功」をおさめてうれしい、ということを言う。漁師顔じいさんは興奮して喋りまくっている。胸花じいさんは相変わらず上下白スーツでずうっといるのだが、常に歩き回り、近よって来たときに、接触を試みようとしても、風に吹かれるようにすっと、離れてしまう。こちらを時どきじっと見ているのは確かなのだが。ブラウン、ノーブル、ティムとも握手をし、外へ出る。
 車に乗る前に、フレイリー一家とお別れをする。レスリーの優しいまなざしは、鴻上、北島両方へわけへだてなくそそがれていたと思われたが、それがまた原因となって、二人は今は、互いの顎を上下に引き裂こうと、口の中に手を入れ合っている。
 それぞれの車に乗り込んで走り出しても、決闘をやめない。
 「ねえねえ、コーちゃん、こういうところでなんだけど、またお願いがあるんだよ」
 「はたあ、ほんなほきにい、いわ、きらさんをころすほころぬあんなほら」
 「コロスのは後にして、ちょっとこれを読んでみて、お願い」
 「いはころさなふてはならなひの」
 「お願いだよ。今読むのがちょうどいいんだから」
 「はめはめ、いほがひいのは、はかっているへひょう」
 「いほがひいのは分かって、いやいや違った、忙しいのは分かっているけど、どうしてもやってほしいんだよ。なんならまた、奥の手を出そうか。次の行でいきなり君が、このようなことを喋りまくってもよいのかな」
 「ひょ、ひょ、ひょっとまって、じょうんだんじゃないですよ。そんなことを言ったら、劇団第三舞台は解散、ぼくはフクロダタキ」
 「そのセリフと、こっちをただ読んでくれるのと、どちらがよいかな」
 「はいはい、やりますやります。北さん、ちょっと待って、あとで決着をつけるから。あ、今は噛みつかないで、あとであとで」
 「じゃあやってくれるんだね。では早速ここの所を皆様に読んで聞かせてあげてよ」
 「はいはい。ええと、『オリヴ・ストリートから十五分ばかり歩いたところの、十二番通りとヴァイン通りの角あたりをぶらついていた少年は、あるいは、サンセット・クラブのドアの隙間から洩れて来るジャム・セッションの響きを耳にしたかも知れない。サンセットでは、その頃、よく午前中までジャム・セッションが続いていた。夜には、もちろん、彼はもっとあちこちから流れて来る音を聞いたであろう。この、カンザス・シティの繁華街のとばくちで、チャーリーは一九二八年から一九三十九年まで、最も感受性の鋭い成長期を送ったのである』ロス・ラッセル著、池央耿訳『バードは生きている』草思社刊三十三ページ下段より、と」
 「チャーリー・パーカーのことなんだけどね」
 「ほうほう、しかしこの『午前中まで』っていうのが凄いですねえ」
 「別のところには、テナー吹き同士の決闘の話があって、街にやって来た高名なプレイヤーを地元組三人が迎え撃った。延々吹きまくって翌日の遅くまで続いてついに地元組の一人の勝ちとなった。何しろ、そいつだけはいくら吹いてもアイディアが尽きなかったのだ。それがレスター・ヤングでよそ者がコールマン・ホーキンスで、あとの二人が、ベン・ウェブスターとハーシェル・エバンスだたってんだけど、どうだい」
 「ほうほう、そうなるとプロレスというよりは、宮本武蔵暁の決闘・髑髏ケ原三人切り、ですねえ」
 「きみのセリフとしてふさわしいかどうかはともかく、そういう感じもするねえ」
 「すると、例の『プロレス的見方』というのはどうなるんですか」
 「それは、灰皿だってコップだって、見方によればそこにいるだけでプロレスだ、と言えるわけだからねえ」
 「今の言葉が唐突と思われる方は『ピアニストを二度笑え』(新潮社)を参考にするように」
 「フォローをありがとう。いやまあ、決闘といってもね、サックス四本でのべつまくなしに次の日遅くまで吹いていたというのではない。リズムセクションというものを忘れては困る。ドラム、ベース、ピアノという者がいて、徹底的におつきあいをするというドレイ現象も生じていた筈なのだ。仲間内の客だってつきあっていただろうし、酒にタバコにナオンにスリクという、ま、これはサダカでないにしろ、そういう環境だったにちがいない。それで、一人のプレイヤーが五分ずつソロをとるとすると、サックスだけとしても、つぎに自分の番が来るまでに、三、五、十五分間の休みがある。リフを一緒に吹いたりはするだろうが、全員一緒のコレクティヴインプロヴィゼイションが延々続いたとは思えないからね。
 「ほうほう」
 「つまり、『決闘』の様相も色々考えられるということだよね。その場で、はっと楽器を放り出して、『お若いの、見事じゃ、わしの負けじゃ』などと言うんだったら話は簡単なんだけどねえ」
 「実際は結構ダラダラしていたかもしれない、と」
 「それで次の日遅くなって、『おれはもう行かなくては。次の街で仕事だ』と言うホーキンスとっつあんを、地元組が『まあいいじゃないですか』と引き止めるようなことがあったかもしれない。『駄目だ、今行かないと間に合わない、行かねばならぬ、イカネバの娘だ。そこを離せ、ええい、離せというのに、ここな無礼者め』楽器をしまって帰ろうとするとっつあんを追いかけながら、レスターが吹き続ける。店を出て車に乗って走り去るのをハダシで追いかけながらまだ吹きまくったってんだから、えれえもんだ」
 「うそをいいなさい、そんなことがあるわけないでしょうが」
 「いやまあ、色々なことが考えられるという一例だよ。こうしたことがカンザスシティ側からの伝説として残っていく場合、やはり、地元組の勝ちという言い伝えになるに違いない、というお話だよ」
 「はいはい。では、わたくしはこれでもうよいですか」
 「いやいや、長いことありがとう。あとは自力でやるから、北さんとのコロし合いを再開してもいいよ」
 「では、お待たせしました、北さん」
 鴻上が北さんの奥歯をつかんで引き抜こうとしている間に、車は走り続け、ホテルが近づいてくる。
 カンザスシティの「全盛期」については、前掲の本に詳しく述べられている。それは結局一九二八年から一九三九年までの「ギャング支配時代」とぴったりかさなり、その期間がそのままチャーリー・パーカーの修行時代と重なる。「一九三九年、ペンダーギャストの脱税容疑が明らかとなり、有罪が宣告された数週間後、チャーリー・パーカー二世はカンザス・シティの街を出た。以後彼は生涯、住民としてこの街に変えることはなかった」(三十四ページ)。パーカーが、レスター・ヤングのいるカウント・ベイシーバンドを、店の天井裏から聴くところとか、よく分からないままに飛び入りした最初のジャムセッションではメロメロになり、いかったドラマーのジョー・ジョーンズのシンバルを投げつけられる話とか、色々あってきりがないのだが、そういう事の起きた街のその界隈の五十年後の空気を吸っていたといことなのだった。昔の大繁栄のおもかげは無かった。乱立したというクラブ、キャバレーは、その地区にはどこにもなかった。人影の少ない黒人居住区となっているだけだ。
 その一画に再建されたジャズメンクラブで先程まで我々が騒いでいたというわけだが、そこでは「胸花じいさん」や、「漁師顔とっつあん」のことがどうしても気になり、懐かしくさえあった。それは、彼らの存在がそのままあの場所に「大繁栄」の時代の幻を運んでくれているような気がしたからにちがいない。ちなみに、十九歳でこの街から出て行ったチャーリー・パーカーは生きていれば六日後の誕生日には六十五歳になる。
 車がホテルに着き、歩道に降りる。通りかかった観光客らしい一団の中から、けたたましい女の笑い声が聴こえてくる。
 「戦勝国の国民にしか出せない笑い声でしょう」
 と、またまた天草生田が妙なことを言った。

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