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・アメリカ乱入事始め/山下洋輔著 第一章

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第一章 東京→ニューヨーク篇

何はともあれ旅は始まった

 今さらアメリカまでジャズをやりに行って何が面白い、と言われても困る。一九八五年八月十四日の昼、おれたちを乗せた日航ボーイング747はもうヤケクソで成田の空に飛び上がり、そのまま乗客全員の吊り目の念力によって太平洋の上をすっ飛んでいるのだ。
 一行は五人編成だが、クインテットの演奏をしに行くわけではない。今回の旅の相棒は全員別分野の逸材であって、バンドマンはおれ一人だ。
 例えばあっちの方で「ゼニカネのことはまかせなさい」と言っているのが、発起人の磯田秀人キティレコード所属プロデューサーだが、この人は、落語家になろうとして勘当された若旦那の振りをしている、実は待望のある浪人というややこしい風情の人だ。昼間からドテラを着て酒を飲み、この世に面白いものは何ひとつ無いという顔をしつつ、それでも、時には口の端をハードボイルドに引きつらせて笑う。
 一方、すぐ目の前で「はい、こっち向いてあっち向いてそっち向いて後ろ向いてアゴひいてハナたらして入れ歯はずして、あっ、どうでも勝手にしてて、はい、それまで」と言いながら写真を撮りまくっているのが、北島敬三写真家で、長州力を小型にしてハンサムにしたような姿形のこの人は、写真家特有の思いつめのマナコを光らせつつ大荷物を軽々と両肩にかけて走り回る。
 さらに向こうの方で、「ぼく、何の為にいるのよう」と言いながらずっといるのが、鴻上尚史劇作家だ。劇団「第三舞台」の主宰者で、この人は一見、色白のテディベアだが、どういう頭の大きさと体つきのバランスによるのか、時によって大きかったり小さかったり太っていたり痩せていたり若かったり年取っていたりするという、摩訶不思議的天才流動表現力を発している。
 そして、先程から「Fuckin' shit marijuana cocain hashish angel dust elephant killer」などとプリントアウトしている全世界共通超小型極秘ジャーマネコンピュータを操っているのが、通訳兼コーディネイターの生田朗だ。かの美男子天草四郎が、フィリッピンで生まれてニューヨークで育ち、日本に渡って道を誤ったらこうなるに違いないという容貌を誇っている。
 これらの者達が一団となってアメリカはまずニューオーリンズになだれ込み、さらにセントルイス、カンザスシティ、シカゴ、ニューヨークと渡り歩き、ピアノ弾きは乱入し、写真家は撮りまくり、劇作家は目撃し、コーディネーターはセッテイングしまくり、プロデューサーは金をだす、ということを行うわけだ。それが何が面白い、と又もや点目になって設問しないように。これ、始まっているのだからね。どうか諦めて最後までつき合っていただきたい。
 話の発端はおだやかなものだった。
 「アメリカに行ってみませんか」と言われれば、バンドマンなら誰だって「行きます行きます」と言う。「ミシシッピをさかのぼりませんか」と聞かれれば即座に「さかのぼりますさかのぼります」とシャチホコジャケのような勢いでご返事するのだ。
 ニューオリンズに生まれたジャズは、ミシシッピ河をさかのぼって沿岸の町々に毒花の種を撒き散らし、シカゴに着いてアル・カポネと出会うと、さらに大きな猛毒花となった。しまいにはとうとうエイズと化してニューヨークに攻め込んだといわれるのだが、その跡をたどろうというのだ。
 勿論ただ連れて行ってくれるのではないことは分かっている。代償というものがある筈なのだ。以前、やはりアメリカ南部にジャズの源を探らないかという話があって、よく聞いたらこれは、坂田明と共に綿畑やサトウキビ畑の中を這い回り、時折、顔を上げてハナモゲラ語でわめき合い、さらにミシシッピ河に飛び込んで大ナマズを口にくわえるなどして、ジャズの根源を探ろうという大変なドレイ企画だったことがある。あるいは、アフリカに行くというものもあって、これは丸太を組んだ台の上にグランドピアノをのせて現地人多数にかつがせ、他集落に押し入って広場の真ん中でピアノを弾きまくり、はたして生きて帰れるかどうか調べようというものだった。どちらも実現しなかったが、テレビがらみだと何をやらされるか分からないというのが当節の芸人事情だ。
「テレビがらみではないんですか」と磯田プロデューサーに聞かざるを得ない。
「テレビがらみもいいんですが、やはり、いろいろ要求してきますからねえ」
「何言い出しやがるか分からねえからなあ」
「なるべく、こちらのペースで行きたいですからねえ」
 結局、磯田案というのは、
1 これはミシシッピをさかのぼるジャズの歴史漫遊旅行である。
2 しかし、「折角だから」機会があればそこここで演奏し地元の人々と交流を深め、身をもってジャズの歴史を感じてみたらどうか。
3 それなら、「折角だから」目撃者というか話相手がいて、旅の内容を深めたい。
4 また、この体験でエッセイ本が一冊書けたら面白い。
5 それで、「折角」そういうことになるなら、やはり写真による記録というものも欲しい。
6 ビデオも撮りたい。
7 最終地ニューヨークでコンサートもやろう。
8 それとは別にスタジオでレコーディングもやろう。
9 それじゃあ、もうニューオーリンズに着くなりバンドマンを集めて演奏しちまおう。
10 おう、こなったらもうやってやってやりまくろうじゃねえか。
11 そうだそうだあんたもここらでいい加減にオトシマエをつけたらどうだ。
12 何だとこの野郎、ドサクサにまぎれてなにを言いやがる。オトシマエったあ何だ、この野郎。
13 何だだとこの野郎、長いことジャズやりやがってアメリカにもジャズにもオトシマエをつけてねえじゃねえか。
14 ・・・・・・
15 おれはなあ、高校生の時から手前のことを見てたんだ。昨日今日のことじゃねんでい。
16 ・・・・・・
17 んなどう考えても一文のモーケにもならねえことを、会社をダマしてまでなんでやると思ってんだ。
18 ・・・・・・
19 え。
20 ・・・・・・
21 ぐとでも言ってみろ。
22 ぐう。
23 じゃあどこへでも乱入するか。
24 わんわん。
25 よしよし、たっぷりこき使ってやるからな。
26 きゃんきゃん。
27 ほれほれ、あそこだ。うしうし。
28  んがああああ。
 とまあ、このような経緯を経て今日のプランが立ったというわけだ。
 先の話になるが、実際どう考えてもこれは闘犬生活であって、その証拠に二十一日間の内、正式仕事演奏は四回に対し、突発的乱入実に十八回を数えた。一日に五回乱入ということもあり、これはもう、連続強姦魔初めて知る狂乱マル秘快楽の謎というしかない。

振り出しはニューヨーク

 などと言っている内に飛行機はニューヨークへと降りていく。この時にはまだ旅の全貌がよく分かっていなかった。今日の内にニューオリンズで演奏するというのも、さっき成田でドサクサまぎれに言われたのだ。どうも困ったドロナワ・スケジュールだが、何が起きるか分からない旅というテーマだから誰も気にしない。
 しかし、考えてみると今日の行動はやや異常であって、つまり、八月十四日の朝八時半に渋谷のキティ本社前に集合して以来約二十四時間かかってニューオリンズに着くことになるが、その間日付は元のままだ。同じ八月十四日の晩に演奏がある。その日の演奏場所まで、二十四時間もかかって行くというのが不可解で、一日は二十四時間なのだから、そんなことをしていては演奏の時間がもう無い。
 駅に着いてホテルへ行き少し休んで食事をし、会場に行ってリハーサルをやって客入れをしてコンサートをやって後片づけをして打ち上げをやって酔っ払って騒いでラーメン食って寝る、という時間も皆無だ。どうなっておるのだといっている間もなく飛行機はJFKに着陸する。
 国を出たり入ったりする時は、なにかこの、ザイニンという意識になるのはどういうわけだろう。今回も一行五名、果たしておれ達はこの国にいいことをしに来たのか悪いことをしに来たのかと話しながら難民の列に並ぶ。少なくともホテル代とメシ代は払いに来ているのだから、良い外人だ、だからなんのやましいこともない、というのが磯田プロデューサーにより出された公式見解だが、相手が、それじゃ一体これは何だああ、と、わめいて、例えば、北島写真家の持っている袋をさかさにして振りまわしたらどうなるか。中からプロの証明がごろごろ出てきて、あ、おまえら、やっぱりドロボーしに来たってんで、即、牢屋だ。などと、馬鹿なことを心配している割には、こういうのはいつも何事もなく、気がついた時には外に出ているということになる。
 出口で、塚本さんが出迎えてくれる。旅の最後にまたやって来るこのニューヨークで撮るライブのビデオのコーディネーターだ。一見、筑波大学理工学部副手趣味将棋、という外見の眼鏡痩身の人だが、実は、滞米生活十八年という強者だ。後に、サーカスでも働いていたことがあり、全米を回ったなどという話を聞いて、一同ぶっ飛ぶのだが、それはまだ先の話で、今は、塚本さんは謎の正体を秘めつつ、しかし、眼鏡の奥のマナコはニューヨーカー的に光らせつつ、ニューオリンズ行きのデルタ航空が出るターミナルへ向うバスへと、我々を案内してくれる。
 がらんとしたチェックインカウンターでたちまちチェックインは出来た。しかし、時間が三時間以上あるので、これまたがらんとしたデリカテッセンに座り込み、ビデオの打ち合わせをすることになる。
 あんまり腹は減ってないが、アメリカの初飯だってんで、てんでに食い物をとりに行く。(これ、意図的音韻合わせではない)鴻上目撃人は、半切りの馬鹿でかいメロンに心を奪われ、手に入れ、期待の笑顔と共にテーブルまで運んで来て、にっこり笑ってかぶりついた。しかし、これが大変なハズレと出たらしい。
 「まずい、まずい。なによう、これえ」
 と怒る。期待に反して、どうやら、ウリ、ヤサイ、といった味らしい。
 「なんでこれがメロンなのよう」
 北極グマの子がアザラシにひっかかれたような顔になっている。
 「そういう食い物なのだから」とか、「こっちの奴はそれでいいのだから」などと、天草(あまくさ)生田がクールに説明するが、なんのその、
 「じゃあ、これは一体なんなのよう」
 と、上にのっていたコテージチーズをスプーンで突っついて糾弾した。
 考えてみれば面妖な食い物で、こういう物が出るたびに、鴻上、怒り、質問し、生田クールに答える、というパターンはこの旅の基本型となっていたったようだ。
 そして、このあとも鴻上目撃人は、機会さえあれば、どういうフロイト的隠された謎の欲望上の理由によるのか、つかれたようにメロンを食いまくり、そのたびに「まずい。まずい。やはりまずい。どうしてなのお」とわめいていたのだが、旅も終盤に近づいたある日、シカゴの空港レストランで、どう見ても同じメロンにかぶりついたとたん、「あ、これ、おいしいい」と、まさかと思った悦びの叫びをついにあげた。
 っが、これが本当に美味しかったのか、長旅に体も心もむしばまれた目撃人が、とうとう発狂して「こっちの奴ら」と同じ味覚になってしまったのか、確かめようにも、その頃には、回りの我々も誰一人それを確かめることのできない豆腐頭になっていたから、真相は永遠に藪の中となってしまう、ということが起きるのだが、まあ、これも先の話だ。
 おれはといえば、ホットドッグを試み、やはり密かに怒っていた。ザウアークラウトなどというものが挟まっていやがって、これはホットドッグじゃねえというのだ。じゃあ、手前本当のホットドッグを知っているのかといわれると困るが、初体験というか、それしか覚えていないホットドッグというものならある。
 グアム島のアンダーセン米軍基地内慰問芸能団用かまぼこ兵舎の前に毎日やって来た移動屋台のホットドッグてえものはなかった、といっておるのだ。1962年のことだから、おれがハタチで、まだ横井庄一帝国陸軍上等兵がジャングルの奥の中に居たという太古の昔だ。タモリ説によると、あの日、横井上等兵が川でエビを取ろうとして発見されたのは、ひとえに、名古屋人である彼の、エビフライ、これは勿論彼の頭の中では、エビフリャーと正確に発音されているのだが、好きに原因があったということになる。つまり、どういう陰謀網でか、隠れ潜む兵隊が名古屋出身であることを探り当てた原住民が、それなら、ここに来るに違いないというので、エビのよく取れる川で待ちぶせていたら、案の定その兵隊がエビフリャー、エビフリャーと叫びながら脇目もふらず走って来たので、なんなく摑まえたというのだ。
 それで、ええと、ホットドッグだったが、つまり、この時のホットドッグが今にして思えば、簡潔にして完璧な基本型を備えていたと思われる。
 どうだったかというと、まず、たっぷりとからしを塗った割れ目パンの寝床にアツアツのソーセージを横たえ、それを、山のようなタマネギ及びピクルスのミジン切りで覆ってしまう。そのうえから、中央にきりりと数条のケチャップを引くというだけのものだが、これを、こまかく割った氷の入った大きな紙コップにたっぷり注いだコカ・コーラと一緒に、水泳やテニスの後でむさぼり食うのはたまらなくアメリカンだったぜ、ベイビー。とまあ今だから言えるわけだが、実態はアメリカンも糞もない。契約期間が過ぎても帰れない慰問奴隷団だったのよ。しかしまあ、思えば、これがおれの最初のアメリカ旅行だったのだ。
 などと言いつつ、このホットドッグに怒っているのだが、あの懐かしい記憶にくらべて、なあんだ、こりゃあ。ザウアークラウトってのはドイツのキャベツ頭(あたま)料理だぞ。そりゃあ、おれはドイツには多少ご縁がある身だから、ザウアークラウトがいかんといっているのではない。どころか、大変にひいきをしているのだ。だからこそ、お前、こんなところに出てくるなよみっともないから、と言いたいのだ。
 ドイツにいればお前だって一枚看板なんだ。え、それが何だってノコノコこんな所に出て来るんだよ。あたしだって困っちまうじゃあないか。みなさまのてまえてえことがあるだろ、とういう料簡なの。なんだって。あっしだってただのザウアークラウトじゃあございません? なあにを言ってやがる。てめえみてえなヘッポコが、ただのキャベツじゃねえってんなら、いったいなんなんだい。なんだい? あっしは、故郷を捨てた、ジャンル破りの、都会の片スミに咲いたアダ花キャベツですう? おまえ、お江戸に住んだことあんのかい。そうかい、それでアタマがどうにかなっちまったてえやつだ。妙な言葉使いやがって。ええ。だめだよ。んとうに。江戸っ子は、五月の空の秋の空、口先ばかりでコロコロ変わるってくれえなもんだ。油断しているってえと、えれえ目に会うんだよ。んとうに。はええとこ田舎へけえれ、田舎に。はやくけえらねえと張り倒すぞ。
 わかのわからんことを言っている間に、向こうの方ではとうに、本題のビデオセッションの打ち合わせが進んでいる。
 塚本さんの推薦するビデオチームは、日本の武道館でウィリー・ネルソンを撮った連中だということだ。どういう傾向のものにするか話している内、面白路線というのもあることが分かった。即ち、演奏シーンにダブらせて、ハオリハカマ姿で摩天楼に駆け上がるとか、フンドシ一つで地下鉄の中をはいまわるとかのシーンを挿入するという、ポップミュージックでよくやるあれだ。ピアノを弾きながらマンハッタンを疾走するというようなことも出来ると言われた。映画撮影用の低い荷台のトレイラーにピアノをつみ、弾きながら走り、これをローアングルで撮るとそうなるという。映画の主人公がバイクをぶっ飛ばすシーンなど、こうやって撮ることも多いらしい。荷台が地面すれすれなのがミソなのだ。あれもやろう、これもやろう、と盛り上がる。何でもありがたくやらせていただきますと申し上げるほかない。ちなみに、ハオリハカマというものもちゃんと持ってきてあって、なぜかというと、やがて行くカンザスシティという所では、全米の長老ミュージシャンが集まるえらくフォーマルなパーティーが折しも開かれる。そこにもぐり込む手筈を整えているのだが、その時に、「これがわしのところでフォーマルと言いよるものたい!」と啖呵をきるのだから用意しておけ、という、磯田プロデューサーの命令だったのだ。その顛末がどうなったかはいずれ旅が進んで行く内に明らかになる筈だが。
 デルタ航空の出発時間となる。乗る前に、義理の従妹ケイコに連絡する。留守番電話に、「スイート・ベイジル」で弾く日時と、また、店に寄らせてくれ、ということを吹き込む。
 ケイコは芸大の専攻科を出てオペラをやっている筈が、ジャズシンガーを目指してニューヨークにやって来て、いつの間にか日本人クラブの語り弾きとなって成功し、優雅に暮らして十何年という天晴れ者だ。
 塚本さんと再会を約し、ニューオリンズへ飛ぶ。くたばり果て、乗るやいなや寝こけ果て、目を覚ますと飛行機はニューオリンズに着陸していた。
 生まれて初めて来るジャズ様御生誕の聖地に、このようなだらしない着き方をしてよいのかと、自問自答する隙もなく機外へと押し出されて行く。

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