ピンナップボード
↑TOP
・アメリカ乱入事始め/山下洋輔著 第二章その1

第二章 ニューオリンズ篇

ジャズ発祥の地に踏み込む

 飛行機から押し出されると、そこにリチャード・オーコンが出迎えに来ていた。現地コーディネーターで、日本人がらみの仕事にはキャリアがある。去年は渡辺香津美のMOBOトリオ(村上"ポンタ"秀一=ds、グレッグ・リー=b)のアメリカ・ツアーをアレンジした。アメリカ人にしては小柄。頬髭有り。髪、黒茶。目、黒茶。だから目茶苦茶な奴だ。そんなことはねえか。早速、今晩の仕事の打ち合わせをする。開始九時半、リハーサル八時。すぐに電話をしに行った。業界筋の雰囲気を漂わせるニューヨーカーだ。
 荷物が出て来るのを待っている間、鴻上氏は、周りのアメリカ人を見回し、「でかいなあ、これはでかいよう。でかすぎるよう」などとわめいて、目撃者としての役割を果たしている。
 リチャードの運転するレンタカーのバンに乗り込み、空港から走り出た。これで乱入チーム全員が勢揃いだ。
 車中、リチャードが「譜面を持ってきたか」と聞く。そういう組織だった計画に関連するような物のことは一切頭に無かった。しかし、「地元の皆様との交流」ということの中にはバンドを組んで一晩やるというのもあったのだから、その時の「バンマス」として、その位の準備は当然だともいえる。といっても、今さら仕方がない。とりあえず今晩はカルテットだから何とか口だけの打ち合わせで出来る筈だ。それがズージャッつうもんだからよう。ただ、何日か後に予定されているカンザスシティのセッションは確か「パンジャ・スイングオーケストラ」風にやれたら、という話が出ていたことを思いだした。ただし、このバンドの譜面というのもまっとうなものではない。
 グレン・ミラーの「イン・ザ・ムード」やベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」などをやるのだが、ちゃんとした譜面など実はほとんどなく、中身は全部「その場」なのだ。
「ここの所終わったら、アルトとテナーで適当にアバレて、しばらくしたら他の皆も入って一緒にアバレて、適当なとこで誰かテーマを出したら皆つけてガチャガチャやっている内に『A』に戻る」だの、「ここん所は、凶器鉄柱ありだから何でもやって。ただし、クラッカーとシャボン玉はまだ出さないで」だの、「このへんで、客席乱入する人はして下さい」だの、「ステージに帰ってくる時は、トランペットは二階客席から吹きながら飛び降りる」だの、「トロンボーンは向かいのラーメン屋に飛び込んで『支那の夜』を吹いてくる」だの、ということをどんどん口で打ち合わせをするわけで、それでもその場になったら、誰がどのような反則をしてもよい、なんてことを理想にしているのだから、譜面だけあっても何の足しにもなりゃあしませんなのだ。
 そのわずかな譜面の所だって、たとえばドラムの譜面というものなどは厳密に言えばないといった方が正確だ。つまり、このバンドではドラマーには、サックスとブラスのパート譜を同時に並べて一瞬の内に全部叩いてしまう、という超人技が要求されることになってる。これ、村上"ポンタ"秀一が黙ってやってしまうから、こちとら甘えてそのままになっているが、普通だったおこられるに決まっているのだ。
 「ドラムの譜面はどこだ」
 「ドラムの譜面はない。サックスとブラスの譜面を同時に見てやってくれ」
 「なにいい?」
 「それから、この曲は全部勝手にやるから、皆が勝手にやるのを聴いて、自分も勝手にやって、途中で、そのやぶけた紙のはじっこに書いてあるのが、汚れてよく見えないかも知れないが、トゥッティーのパターンだから、一番から五十番まである内から最適なものを選んで、適時演奏するように」
 「にゃにゃにゃにゃんだとおお?」
 「場面転換は全部ドラムの合図だからその場で全員が出来るようなリズム・パターンをすぐに三十五個程考えて皆に教えておくこと」
「にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ・・・・・・・」
 コロされても仕方のないことをやっていたのだった。サックスも同じようなもので、
 「あ、そこ全部指揮しちゃって。キッカケ全部まかせるから、どんどんそっちでやって。ついていくから」と、もう何もかもあなたまかせのバンドなのだ。このような「譜面」を持ってカンザスシティにバンマスをやりに行ったらどうなるか。聞くところによれば、そこに集まっていただく方々というのは、やれ、昔チャーリー・パーカーとやったことがあるの、カウント・ベイシーのところにいたことがあるのという大猛者ばかりらしいのだ。そういうところへこういうものを見っていってどうなるってんだ。なにいい? やらせりゃ、面白れえ? 誰だ、そういう無責任なことを言う奴や。こちとらはほとんど命が危ないのだぞ。
大体、そういう方々は、勿論全員黒人のワケで、だから、喜んでグレン・ミラーやったり、ベニー・グッドマンやったりするとはとうてい思えんのよ。といって、「ワン・オクロック・ジャンプ」の譜面出したら、やはりこれ、大爆笑だろうが、このカンザスシティでのリフセッションがあの曲になったのだからな。爆笑ならまだよい方で、そのような厚顔無恥に対してもしかしたら「殺」という一文字が爆発するかもしれないのだ。
 急におびえつつ、それでも皆の手前、カンザスシティに間に合うようにパンジャ・スイングオーケストラの譜面を送ってもらうように、日本に電話してくれと天草生田に頼んだ。天草は、空港でリチャードと会ったあとは、なぜか「アキ」という異名を持つ謎のニューヨーカーに変身しつつある。
 車は市内へと走る。考えていた街のイメージとは相当違う近代的な建物の立ち並ぶ景色だ。道路はだだっ広く、高層ビルが立ち並ぶ。目茶でかい宇宙船まで降りてきやがったと思ったら、これがかのスーパードームだった。いきなり出てきて「どけどけどけい」といって居すわっている。どういう精神構造の所産かとっさに考察する間もなく、スーパードームは視界から消えた。
 この前後に、「ベイジン・ストリート」という標識のある通りを通った。いやに大きな通りで、これがあの「ベイジン・ストリート・ブルース」ゆかりのものかどうかこれまたよく分からない。もしそうだとすると、ここ、ニューオリンズで生まれたルイ・アームストロングがこのゆかりの地名の曲を吹き、レコーディングし、そのSP盤が太平洋を渡って日本に現れ、日本人が買い、大学生が真似をして吹き、友達の言えでバンゴの練習をやっていたら中学生の弟がピアノを弾くことになって、この曲を何度も何度もやり、そのガキは若干のブルースの節を知り、和音が一度から三度に移る時の体の浮くような意味や、同じく六度に行く時の、幅跳びの着地のような鋭い手ざわりを知り、結局二十五年後にバンドマンとなって太平洋を渡り、その曲の名前の通りを走っている、ということなのだが、当節のご時勢では別にどうということはねえか。睡眠不足頭が今晩の仕事のことをドロナワで考えようとしてあせっているので、ちゃんとした感慨にふけるひまもないのだ。
 ちゃんと吹けるとすると、たとえばその「ベイジン・ストリート・ブルース」を初めて生で吹いて聴かせてくれたトランペットの高梨さんはもうこの世にはいないなどの記憶がどっとばかりに出てきて収支がつかなくなる。今は合掌して通り過ぎて行くだけだ。
 ホテルに近づいたあたりで、突然景色が一変した。街並みが急に古くなり、通りはせまくなり、街燈に灯がともっている。百年前の姿をそのまま残しているというフレンチクォーターに入ってきたらしい。この一画が、いわゆる、ひとつの、あのヒストリカルなメモライズがヴィヴィッドにイグジストするところの、ドリームシティ、ニューオリンズだったのだ。
 ホテル「モンテレオーネ」に到着。高層ホテルだが中身は古く豪華だ。ただ、その古さも豪華さも、少しヨーロッパのものとは異なる。どことなく明るく、軽く、どうでもよい雰囲気が漂う。
 広びろとした部屋でやすむ間もなく、仕度をして集合し、ジャズクラブ「スナッグ・ハーバー」へと向かう。
 ホテルはロイヤルストリートにあり、これはフレンチクォーターを東西南北碁盤目街路とすると、ミシシッピ河から北へ三本目の東西線となる。そのひと筋北が、バーボンストリートで、この地名を用いたエッセイを書くとかならず何か賞がもらえるという言い伝えが、マーク・トウェインの昔からあるというが、真偽の程はサダカでない。

大受け、天晴、顔見せ興行

夢の街フレンチクォーターを東に走り、ほとんどはずれまで来た一画に「スナッグ・ハーバー」があった。レストランやバー用の部屋とは別に全体が「木造」というライブ用のスペースがある。そこでも簡単な食事はでき、勿論、酒は飲める。
 リチャードがさがしてくれていたミュージシャンたちのうち、ドラマーがすでに来ている。セッティングの為に誰よりも早く来なければならないのはどこの国でも同じだ。挨拶をし、握手をする。ジョン・ヴィダコヴィッチという東欧風名前の白人プレイヤーだ。眼鏡をかけ、繊細な雰囲気を漂わせている。譜面の用意などはないから、いつもやっているもので一緒にできるものをやらせてくれ、ということを伝える。そっちでなんでも決めてくれ、という返事で、とくべつやっかいなことはなにもない。リチャードには、こちらが目茶苦茶をはじめても、なるべく怒らない人を集めておいてくれと頼んであった。
 やがて、ベースのジェイムス・シングルトン、アルトサックスのアール・タービントンも現れた。苗字がトントンと集まって、これをアタマにするかポンをするかキッテいくか分からなくなったが、これすべて偶然だ。ジェイムスはチャーリー・ヘイデンに似た白人、アールは坂田明が柔和な気持ちになっている時のような顔つきをした黒人だ。主にアールと何をやるか相談する。いわゆるジャズ・スタンダードの曲名をお互いに出し、それはいい、それはちょっと、などと調整する。
 こうしているうちに、段々と衰弱頭が妙な燃え方をしてきて、「これ実は、わしのバンドだったけんね」というアヤシ想念が湧きあがってきた。ここでは、人のバンドに入れてもらうのではなく、なんらかの「じぶん」中心のものを行いに来たのだという使命感がおぼろげに思い出されたのだ。
 こそで、いやちがった、そこで、急に手前の曲を譜面に書きつけて練習をするという暴挙にでた。「キアズマ」という旧作で、これはまあこのへんでは誰も知らんだろうが、八分の七拍子、リズムユニゾンの短いテーマで、あとは何をやろうと勝手、というものなのよ。これをやり、どういう嗜好の持ち主かお互いに分り合おうという意図もある。少なくとも、共通の五線紙に共通の記号を書きつけてコミュニケーションできる、ということは分かるだろう。
 あとで聞いた話だが、連中、最初は、日本の奴だから、きっと譜面はわけの分らんニホンゴ、チャイニーズレターがミミズに食われたような面妖な記号が並んでいるにちがいない、それも縦に書いてある筈だ、と思いこんでいたらしい。それならいっそのこと、今度から本当にニッポンスタイルの譜面を書いてしまおうか。邦楽の譜面を真似して、和紙かなんかに縦書で、<あやけれへれめてせけねへて>
 などと、目茶苦茶なことを墨痕りんりんと書いておく。これを見ながら、ほかのポンニチ(日本人)ジャズメンと一緒に、パーカーの「コンファメイション」かなんかバリバリにやったら現地人はびっくりすると思うんだが、そんなことはしなくていいか。
 まあとにかく、リハーサルをやり、お互いなんとなく相手の手ざわりを確かめた。なんでも出来そうな感じだ。安心ついでに、またまたバンマス根性を出して、オープニングをとりしきることにした。つまり、最初にピアノソロを二曲やるから、それが終って名前を呼んだら一人ずつ出てきてくれ、と言ったのだ。せっかく手前の名前でやるセッションなのだ。やれることはクイのないように全部やってご覧に入れたい、というドンブリメシ志向だ。インターミッションのあとにやはりソロで「ボレロ」を弾く、というプランもこの時に立った。ニューオリンズの観光客相手ではない地元民の来るジャズクラブで、「ボレロ」が響くとどうなるか、などということについて、なんらかの見通しというものがあるわけではない。単にワシが今やっておるからここでもやる。、やらねば気がすまんからやる、というわけで、当然ながらこのあとには、「文句あっか」という言葉が金属バットをにぎりしめてひかえている、というようなことなのだ。
 いやまあ、そんなにむきになることはなかった。衰弱頭だから、感情の起伏が激しいが、そんなに無理に張り切らなくても、このお国では、どいつもこいつも、「ワシ、こうしたいからこうするけん、お前らも好きにするように」といって生きていることがだんだんと判明してくる。何をしようと構わんのよ、結局は。
 オーナーのグレンも現れてた。目と目が離れた鯰髭の陽気な白人大男で、大声で話す。ミュージシャンたちは、この間、ジョン・スコフィールドが来た時も相手をした連中だ、と言う。常に酔っぱらっているようにも見えるが真相はサダカではない。グレンのオフィスのソファでしばらく休む。ひっきりなしに人が出入りし、さかんに飲酒吸煙活動を行う。
 九時半に出て行って、「ラウンド・ミッドナイト」と「仙波山」をソロでやる。客は二十人位。鴻上目撃者によれば、「仙波山」の途中あたりで、客が驚いた、ということで、これはまあ、早々にヒジ打ちなど出して自己紹介をしたからそれに対する返事だ。そういえば、このあたりで早くも弦が一本切れていた。ちなみに、これについては、その後も何のオカマイもなかった。けっこうな拍手をもらい、気楽となって、三人を呼び出す。以後は入り乱れてのバトルロイヤルで、おおむね向こうはストロングスタイルをキープしてきた。ベースとドラムがきちんとルールを保っていてくれているところで、発作的逸脱的大アバレをするという展開となる。向こうは一緒になってアバレるのではなく、こちらがアバレるほど、がっちりとキープに入る。拒否反応ではなく、あ、おまえ、そういう奴だったのか、しょうがねえなあ、ま、好きなようにやれた、というようなことだと勝手に解釈し、どんどにやる。セロニアス・モンクの「十三日の金曜日」というなぜかカタカナ英語で書けないタイトルの曲の時に、ひとアバレして着地すると客席から歓声や拍手が沸いた。お、それならこれはどうだってんで、図にのってもう一度アバレるとまたまた沸いた。それも、どうもこちらの逸脱滞空時間や、その間の姿勢や、着地のタイミングやキマリぐあいによって、騒ぎ方が微妙に違うという反応で、これはオソロシくもスリリングかつ大変気持ちのよい体験だった。どこが逸脱しているか一字一句を分かっているのだ。そすがアメリカの客だ、などと勝手に思い込みたいほどだ。このころには、客は増えていて、六十〜七十人となっていた。妙な日本人男がアバレているというので物好きが集まってきたのかどうかそのへんはよく分からないが、ともかくもわあわあという騒ぎの中で米国上陸初日コンサートは無事に終了したのだった。
 乱入チーム一同は、一部始終を見ていたわけだが、それぞれにゴキゲンそうな顔となっていたので安心する。これが逆と出て、終わってみたらやたらみんなの顔がヒキツり、あるいはウツロであったり、目を合わせずにどこかへ行ってしまったり、蛇蝎を見る目でにらまれたりした日にゃあ、こちとら生きてはいられません。明日からの二十日間が、惨め全敗ズタボロ無意味虚無ゴミ時間となり果て、一緒にいるだけでお互い死にたくなるに違いないのだ。今夜は幸い、連れていってけしかけたドレイ闘犬が、まずはよくアバレた、よしよし、という態度が一同に漂ったのだった。
 オーナーのグレンも上機嫌で、VIPカードというものをくれ、「これから、メシは全部ただだ。ここをホームと思ってくれ」と言う。これを拡大解釈すれば、連日連夜入りびたって、しまいには住みついてしまうことも可能だが、まあ、そういうことはしないだろうというお互いの良識が前提となっている。が、ともあれ、いざとなれば、コロガリ込んでメシが食える場所がアメリカに出来たというニューオリンズのサバイバル初夜だったのだ。

気がつけばドレイ闘犬生活

翌八月十五日午後、電話で死に起きる。
 「そろそろ、フォトセッションなんてものをやろうかなんてことに」などという磯田プロデューサーの声が聞こえる。のんびりとした口調で、しかも文脈のはっきりしない言葉だが、言おうとしていることは、はっきりと分かる。
 「いい加減でド馬鹿頭をさまして今すぐこき使われに下に降りてこい」という意味なのだ。
 ロビーには死に降りると、チーム一同揃っていてすぐに外に出る。バーボンストリートに出てのそのそ歩きだすと、北島写真家が突然ジャガー・チェンジ(豹変)をして、ガシャバシジコカシャグシュガシャギシと写真を撮った。思ってもみなかった素早い動きで、前後左右を走り回る。顔はこちらを見ながら、カメラを右腰下に構えて六連写という技もおしげもなくくりだしくる。あとずさりしているうちに人にぶつかりそうになったりする。通行人はほとんどが黒色人種で、地元の人か観光客かよく分からない。
 バーボンストリートには車は入れない。その車道の部分はなぜか薄いピンク色をしていた。両側の歩道にそって高層化を制限されたアンティックそのもののバーやレストランが続き、街燈が立ち並ぶ。一軒の店からは早くもデキシーランド・スタイルの演奏の音が聴こえてくる。ハリケーンが来そうだという曇り空の午後に、夢の街はちゃんと生きたままたたずまっており、そのなぜか薄ピンク色の通りの真ん中を、ガシャゲシギシカシャケシシシシなどといいながら、黄色人主体のわかの分からぬ一団が移動していくのだった。
 バンドの入っているバーを外からのぞく、ビールは飲みたいが、こういう所に入って座るとどうしても即興の試合をさせられそうだというおびえがある。同行者たちも昨晩の初仕事の「イキオイ」をそのまま持続させているようで、それはそれで勿論よいことに決っているが、その「イキオイ」が連れ歩いているバンドマンをどこへでもけしかけてあばれ込ませようという風な方向でまとめられた場合、こちらの都合というものが再びエデンの東に消し飛んでいくことになるのだ。
 「お、やってますね、ヨースケさん」と鴻上目撃人がそそのかす。いいや、これは絶対そそのかしているのだ。その証拠に、彼は、テディーベアが蜜蜂の巣を見つけた時のような上目づかいとなって、さらに次のようなことを言うのだ。
 「この人たちはうまいんですかねえ」
 「うまいですよ」
 「ほう、ほう、そうですか。きのうやった人達とどっちがうまいですか」
 「そういわれても、やっていることが違うから」
 「ほう、ほう、やってることが違うとは、具体的にどういうことに」
 「いやまあ、こちらは観光客相手のような気もするし」
 「観光客相手だと、どう違うんですかねえ」
 「いやまあ別に違いはないけど」
 「ほう、ほう、とすると、ここにヨースケさんが入ってやるということも出来るわけですか」
 「そりゃまあ、出来ないことはないけど」
 「そうですか、ほう、ほう」
 「でも、仕事の邪魔はしたくないから」
 「でも、入ってやったら面白いですよね」
 といってまたもや上目で人を見る。先に書いた「闘犬」という言葉が頭に浮かんだのはこの時だ。
 日の出の勢いの劇作家兼演出家兼劇団主宰者と目を合わせて勝てるわけがないから、その目をなるべく見ないようにして歩き出した。バンドもおらず、客も一人もいないバーがあったのでそこに入り、カウンターに座ってビールを頼んだ。ところで、薄暗い内部に目が慣れてくると、奥の方に非常に古そうなアップライトピアノがあるのが分かった。まったくもう、ピアノの無い場所はこの街にはないのか。
 すかさずそれを見つけた磯プロ(もう、面倒だから、磯田プロデューサーはこうなる)は、口の端をゆがめて笑う。
 「お、アンティックなピアノがあるなあ。北さん、ちょっとこれを撮っておいてよ」
 最早これも、北さん、となった北島カメラマンがピアノに近寄って色々と眺め回す。何事かといぶかりはじめた店主に、日米両コーディネイターが早口で何か説明する。絶妙のチームワークであり、やがて、当然のことのように、磯プロの次の言葉が響きわたるのだ。
 「じゃあ、ヨースケさん、ちょっとあそこに座って写真なんてものを」
 で、座りましたよ、あたしゃあ。しかし、ピアノ弾きをピアノの前に座らせるというのは、素っ裸の女にカツオブシ十本持たせて野良猫の目の前に寝かせるようなものだ。このタトエ、ただでは済まんということなのよ。これが他の楽器の奴だと、やれ、楽器を持ってこなかったの、人の楽器じゃあいやだの、ケースの鍵が無くて開かないのだの、さっき、質屋に入れてしまったなどと言って、ジタバタできるのだが、ピアノは前に座ったらもう駄目なのだ。
 んで、弾きましたよ、あたしゃあ。ハリケーンの来るという曇った日の昼下がりのニューオリンズのバーボンストリートの誰もいない薄暗いバーの片隅で何を弾けばいいのか分かる奴は教えて欲しいが、この時は、ま、何やらブルースらしきものなのだった。弾いている最中、北さんは撮りまくり、音が止むと一同儀礼的な拍手をする。すると、この一団がなだれ込んで来た時からイブカシの細眼となっていた白人店主もつられて手を叩いてしまうという巻き込まれようだ。
 このバーの名前が「フリッツェル」で古そうな写真や調度がなんとなくドイツっぽかったので、ここはドイツバー、そのおとっつぁんは「フリッツェル」家の末裔、と、勝手に決めてしまった。
 そこを出て、滅多矢鱈と歩き回る。ミシシッピ河のほとりに出て、そこでも撮影する。ミシシッピの川風に吹かれ、はるかなジャズの歴史を想ふ、というようなポーズを取ろうとしたが、仲々うまくいかない。凡人が急に「イツキろう」としてもそれは無理なのだった。しかし、ま、努力はしたわけで、この辺で大体分かり始めなかればいけなかったことは、この旅にはあたくしどもの「都合」などというものは一切無い、ということだったのだ。あたくしというものは、連れて行かれるだけだった。そこで唯一の役目は、連れているお方の意向を素早く察知して唯々身を粉にしてお仕え申し上げるということだったのだ。これぞ、この地に昔存在した、かのドレイ制度というものの怨念かも知れない。時空を超えて、今その苦難の歴史が浮上し、唯々連れ歩かれ、ご主人様の気まぐれによって時どきに使役を命じられるドレイの、怒りと悲しみと、それから妙なことに、誇りと使命感までもが、ミシシッピの川風に運ばれて全身に吹きつけられ、染み渡り、毛細血管をくまなく駆けめぐってこの身を納得させているのだった。
 夕方いったんホテルに戻る。「ダンナ様、お許しくだせえ」などと、すっかりドレイとなり果てながら少しウトウトした。この間、磯プロ、北さん、鴻上の三名は、何の疲れも見せず、どこやらのワル場所に転がり込んだということだ。
 そこで踊っていた女が、三人のうちの一人に言わせると二十四〜五の乙な乙女で自分に気があったそうだ。ところが、他の奴に言わせると、その女は五十七〜八のババアで、気があるというよりは、唯どんどんやって来てアヤシイ飲み物を飲みまくっただけだということだった。世界中どこへ行っても同じような所では、同じようなことが起きるという真理がここでも証明されている。
 夜、飯を食いに昨夜の「スナッグ・ハーバー」へ行く。レストランの一画に一行六人で座り込むと、オネエチャンがニコニコ顔で来てくれ、飲み物の注文をとった。「ハリケーン」という物凄い名前のカクテルがこの街のどのバーにもあるようだったが、今まではおそれて誰も頼んだことがない。ところで、ここのメニューにはさらに上を行く「モンスーン」というものが書いてあった。この際、おもしれえじゃねえかってんで、「モンスーン」を頼むと、バカでかいトロピカルグラスに思いっきりラムと氷とジュースをぶち込んだカクテルが出てきた。磯プロ、鴻上、目撃人と共にゲヘヘへへへなどと喜びながら飲む。
 日米両コーディネイターは何か別の常に「自分の」飲み物を頼み、北さんは医者に酒タバコ肉食を控えるように言われて来たとこで、クラブソーダに山の様な大盛サラダに禁煙パイポという、小型長州力にはあまりふさわしくない食事風景だ。
 連絡がいったらしく、オーナーのグレンがやって来て大声で喜ぶ。「食事全部タダ」のカードを昨日貰っておれは持っているが、これの有効適応範囲はどうなっているのだろうと思いつつ、ステーキやエビやサカナをむさぼり食った。勘定の時に又グレンはやって来て、「全部でこれこれだが、これこれ分まけさせてもらうぜ」と言って、三分の一程の金額を引いてくれた。つまり、六人の内二人は、おれの「VIPカード」によってタダとなったわけで、これは仲々気持ちの良いことだった。思わず「ダンナ様方、喜んでもらえただか、おら、ドレイの身だども、こうしてわずかばかりだが恩がえしができて、嬉し泣きこきましはらせねけれめへねえだ」などと訳の分からぬ言葉で自慢をしたい程だったのだ。
 昨晩やったジャズクラブでは今日は、スヌーク・いーグリンという有名なブルース歌いのお方がでるということで、一同そちらに移り、二階の正面のテーブルに座る。共演のエレキベース奏者に手を引かれて、どこかサミー・デイビス・ジュニアに似たサングラスをかけた小柄な痩身の実年黒人が現れた。スヌークは盲目なのだ。
 ベースとドラムをバックに歌いまくる。途中で何度も「みんな、乗ってるか」という感じで客に声をかける。客はそのたびに「イヤー!」と答える。段々と早いタイミングでたたみかけるようにする。客は満員というわけではなく、白人客の方が多いが、そこはお互い勝手知ったる仲でワアワアと盛り上がっていた。首をかしげ、全身で客の反応を知ろうとしているスヌークの頭の中にある「もう一つの現場」が一瞬見えるような気がした。
 ワンセット終わったところで、ベースを弾いていたクレオールっぽい肌色の若者が来て、次のセットを一緒にやるかと訊く。昨日、音響を担当していた男で、大変喜んでいたのだ。これも当然、御主人様たちがお喜びになるに違いないから、もう否も応もなくやらせて戴きましはらけせねえだがや。
 ステージに呼びあげられ、紹介されると、昨日もいたらしい客の何人かが拍手をしてくれた。
 ベース男はスヌークの耳元で何やらささやいている、「目茶苦茶なポンニチのピアノが入るけど、気にしないでやってくれやトッツァン」などと言っているのかどうかは定かではない。
 トッツァン、委細構わず弾きだす。ブルーコードと決まってはいないが大体その方面のコード進行で、リズムはシャッフルっぽくあと打ちではね上がるやつ。適時ブレークがあり、そのあたりはベース男が身振り顔つきで知らせてくれる。ピアノ・ソロも時どき回ってきて、やや遠慮しつつもついついアバレたりしていると、トッツァンが「なんとかかんとかピアノ!」などとワメいたりしたが、これはイカったのか喜んだのか型通りの掛声なのか、よく分からない。二、三曲で立とうとしたら、ベース男にきつく止められた。礼儀に反するらしい。そのセットを最後までやり、おかげで「ジョージア・オン・マイ・マインド」なども、このブルース師匠と一緒にやることができたのだった。
 ステージを降り、しばらくしてから、スヌークに挨拶にいく。付そいの女房さんらしき人がいて、椅子に座らせている所だった。近寄って、「ピアノを弾いていた者です。ありがとう」と言った。気がかりそうだった女房さんが微笑み、スヌークは、「やあやあ」というようなことをブルースの声で言い、一瞬後には、トウモロコシのパンケーキを手づかみにしてかぶりついている。
 スヌークとっつぁんに別れを告げて、そのままホテルへ帰ろうかと思ったが、そうはいかない夢の街で、再び不夜城のフレンチクォーターへと舞い戻り、目抜きキチガイ通りのバーボンストリートへとさまよい出る。何となく「クレイジーコーナー」という所へ行ってみようということになった。そのココロは、昼間のフォト・セッションの時に通りかかった大男のスキンヘッド黒人が、確かそこで演奏をしていると言ったとか言わなかったとかいう、例によっての旅の身空のアヤフヤ情報だ。

米国風お神楽保存会にて

「クレイジーコーナー」というのは店の名前だったが、その店のある四つ角一帯がそう呼ばれているのに違いない。なにしろ、そこに響き渡る音はクレイジーそのもので、あちらの店ではジャバドビドヤ、こちらの店ではタイヤパタパ、隣の店ではドンガラガッチャッチャ、向かいの店ではブンチャッチャッチャというわけで、それらすべてが、フーエーホーがどこ吹く風と響き渡って客を奪いあっているのだ。ポンニチでこういう状況があるとすれば、それは、カメラのサクラヤとヨドバシカメラが並んで夜中の三時までガナリ立てているということになるが、んなもなあ観光にもなにもなんりゃあしません・・・・・・いやいや、そうでもないか。ガイジンは喜ぶかもしれないし、たしか、どちらかのテーマ・ソングはデキシーの名曲「リパブリック讃歌」だった。
 んなことはどうでもいいが、実際、でかい音を競ったという話は昔からあったようで、
 「おいおい、ハチ公、聞いたかい」
 「なんでえ、あにき。やぶからぼうに。驚くじゃねえか」
 「驚くじゃあねえかじゃねえや。これが驚かずにいられるかってんだ」
 「だからどうしたてんで・・・」
 「だからどうしたてんじゃねえや、んとうにもう」
 「話してくれなきゃ分からねえじゃねえか」
 「話してくれなきゃ分からねえじゃねえ・・・いけねえ、こんなことばっかり言ってるといつまでたっても話が進まねえや」
 「だから、話ってのは何だてん」
 「だから、おめえ、今度、向かいの『クレイジースレイブ』にどんでもねえでかい音のラッパ吹きがへえったんだ」
 「へええ」
 「洒落てんじゃねえぞこの野郎。そいつの音のでけえのなんの、うっかり前を通りかかったナマズ屋の御隠居なんざあ、脳天に一発食らってひっくり返って泡ふいちまったてえくれえだ」
 「へええ、で、どうしたい」
 「まあ、すぐにフリッツェル先生のとこへ担ぎ込んで命は取りとめたんだが、かわいそうなのは与太郎だ」
 「与太が、どうかしたのかい」
 「あの馬鹿、ステージのまん前で口開けて聴いてやがったら、音が口から飛び込んで、五臓六腑ひっかき回して脳天に突き抜けた。野郎、苦しがって喉かきむしりながら表へ飛び出して、そのままフレンチマーケットまで三秒で走って行ったってんだなあ」
 「そりゃ早えなあ。よっぽど苦しかったんだなあ」
 「ところが、あめえの前だが、このラッパ吹きの野郎もしつこい奴でねえ。おれの音を聴けねえとはなんだってんで、ラッパを吹きながら与太郎を追いかけた」
 「しつこい野郎だねえ」
 「バーボンストリートからロイヤルストリートに出て、何を思ったか右に曲がって走っていったな」
 「そっちへ行くのは逆だなあ。ドンバ野郎のするこたあ分からねえ」
 「キャナルストリートに出るとまた右に曲がり、どんどん走ってランパートストリートを通り越し、ベイジンストリートを左折してロヨラアヴェニューに入りラファイエットストリートを右に曲がって、とうとうスーパードームに飛び込んだってんだからわけが分からねえ」
 「どういう料簡なんだろううねえ」
 「スーパードーム見学ツアーってのに入って場内一周してからまた外に走り出て、ランパードストリートを一直線に戻り、エスプラネードストリートを右に曲がって、そのまま通りを七つ横ぎってミシシッピ河に飛び込んだってんだからわけが分からねえ」
 「ったくだあ。与太郎はどうしたい」
 「与太郎の野郎はサミーの豚肉屋の倉庫に隠れて震えてたんだが、そこへ河からラッパ吹き野郎がずぶ濡れのまんま上がって来やがって、倉庫の明り取りのとこまでよじ登ったな」
 「なんでそんなことをするんだ」
 「その明り取りからラッパを差し込んで中の与太郎めがけて吹き込みやがったんだ」
 「えれえことをしやがるねえ。で、どうなった」
 「与太は中で七転八倒の苦しみ、助け出された時には息も絶えだえだったってなあ」
 「あ、あにき、それは与太郎はもう助からねえ。この世におそらばだ」
 「どうしてでえ」
 「逃げ込んだ先が、豚肉屋だ。これはもう、『グッドバイ・ポークパイハット』」
 馬鹿なことを言っておりますが、とにかくこのような話が百年前からゴロゴロしているという雰囲気なのだ。
 実際、バディー・ボールデンという伝説的なラッパ吹きのおとっつぁんはベラボーに音が大きく、ミシシッピ河の対岸まで届いたというようなことを読んだ覚えがある。嘘かと思っていたが、昼間河岸まで実地見聞したところによれば、これは単なるホラではなさそうだ。フレンチクォーターぞいのミシシッピ河の河幅は、広い所も狭い所もあって、場所と風向きによっては、ラッパの音は対岸まで届く。
 などと言いつつ「クレイジーコーナー」に入って座り込んだが、当のスキンヘッド黒人の姿は見えず、ステージではアレサ・フランクリンを三倍分太らせたようなオバチャンがシンセサイザーやエレキギターをバックに不思議にナウく恰好よいゴスペル風の歌を歌っている。おれ達のテーブルには、これまた非常識なまでに太った白人オババがやって来て、注文を取るついでに、「明日は葬式があるから」などということを申し立てる。わけの分からぬままに、「葬式」→「ニューオリンズ」→「なにやら歴史的ジャズ的行事」→「ここに来ているよそ者は当然参加見学費を払う」というような一瞬の読み筋をたどらされて、気がついた時には、寄付だかチップだか分からないものを一ドルずつせしめられていた。
 これじゃあしようがねえってんで、ビール一杯でそこを出る。すぐそばに「プリザベーションホール」があるのが分かり、折角だからと、そこをのぞくことにした。
 意図的にそうしてあるに違いない非常に暗く、狭く、粗末で、汚い場所に、わし、絶対これ以上進化しないけんね、という決意の純粋ニューオリンズスタイルの演奏が響き渡るという寸法だ。
 床や、小さなベンチに座ったり、壁際に立ったりして客が二十人ほど。これで一杯という光景だ。今の世の中でこれほど狭く汚いジャズの店というのは、世界広しと言えど、ここと、西荻の「アケタの店」しかないだろう。
 部屋の一面に七人のミュージシャンがいる。クラリネットとトランペットは若者で、前者はウィントン・マルサリス風のふっくらした顔立ちに学者風太縁眼鏡、後者は、カリブ海のナイフ使いという感じの、ナチュラルアフロヘアを長めにした細身男だ。その他の方々はもう一見して全員人間国宝であって、皆八十歳以上ではなかろうか。トロンボーンは、なき、ジョージ・ルイスにくりそつ(そっくり)の顔で、なぜか白衣をまとっている。ドラムは体型、顔面の輪郭、目玉の動かし方、すべてルイ・アームストロングそのものだ。サッチモが、この街を出て、世界中の何千何万の人びとの拍手の中で暮らして行く道を選ばなかったら、もしかしてこうなっていたかも知れないというシブさが全身をおおっている。ベースは背広を着た二カウさんで、ピアノはよく見ないと見えないほど小柄な老婦人だ。眼鏡をかけていて、インドの女哲人がピアノというものの真の意味を今悟った、というようなひたむきな態度で、ようやく音の出るような古いアップライトピアノを弾く。その前に座っているバンジョーのおとっつぁんは、上下三つ揃いのスーツでびしりと決め、立派な顎髭をたくわえていて、これはどこから見ても、ドクター・フロイトだった。
一体となって奏でるその音は、これぞジャズのあけぼのの姿をそのまま映す古式ゆかしい集団即興演奏だ。ただし、適時、個人ソロパートもあり、その時には管楽器のソリストは立ち上がって吹く。合奏の時は椅子に座ったままなのだ。これは、翌晩乱入したもう一つの「由緒」ある場所「ストーリーヴィル」のバンドもそうだったから、そういうものなのだろう。ここ「プリザベーションホール」では、乱入など思いもよらぬことで、どころか、酒もタバコも控えよ、という位の格式だ。写真撮影は勿論厳禁で、根性でフラッシュをたいた北さんは、えらい勢いで店の奴から注意され、ミュージシャンににらまれた。きびしく保存された生ける博物館だから、客もちゃんとしなければいかんのだ。ヨーロッパの古いお城の地下室で行われている古典音楽研究会の催しという趣もあるが、そう思うと今度は、壁にかかっているリクエスト曲のメニュー表が突然俗っぽさで、ここがどこだったかを思い出させてくれる。由緒ある曲が何曲か書き出されていて、それぞれ値段が違うのが面白い。「セイントゴーマーチニン」がさすがにもっとも高価で、一演奏五ドルなどとなっていた。
 「プリザベーション」とは、保護、保存の意味だからここはつまり「お神楽保存会」なのだ。クラとペットの若者は保存会のメンバーのお眼鏡にかなった立派な若者というわけで、イニシエの言い回し以外は自ら封じ手禁じ手にしているのはよく分かる。クラなどはゴリゴリのアルバート式の楽器なのだから、筋者が見たら泣いて喜ぶ。しかし、若者は若者であって、根本的には八十歳の方々と一緒になれるわけがない。特にラッパのオニイサンのフレーズには油断をスルと、ジャズがニューオリンズを出て行った後に付加えられた様々な妖花の香りが一瞬立ちのぼりそうになるのだ。家に帰るとギンギンになって、クリフォード・ブラウンかなんか吹きまくってるんじゃねえかと思うんだが、お師匠さんの前じゃあ、やっちゃあいけねえというやつだ。
 「ええ、いけませんよ。最近のわけえもんは、え、パアパア、パアパア、吹けばいいってもんじゃありませんよ」
 かなんか言っている大師匠達が演奏を終わり、くつろぐと、なぜかそのそばには、目も覚めるような綺麗な若い金髪紅唇女がトロ眼になってすり寄って行きやがる。師匠も、とっつぁんも、若者も、街中ぐるになって、何重にも重なった時間を渡り歩き、旅人の目をくらましているのだ。えれえ所なのだ。ニューオリンズは。

ハンバーガー屋にサインをねだられる

というわけで、なかなかニューオリンズから出て行けないが、次の日には、御主人様のお引き廻しがほとんど狂乱の域に達したかに見えた。
 とび起きるやいなや、といってもすでに午後になっているわけだが、全員バンに乗り込んでヤミクモに出発する。どこへ行くのか誰も分からぬままにいつしか車は妙な通りを走っていた。うっそうとした並木が連なり、両側に豪邸が立ち並び、しかも道の真ん中を非常に古そうな細長い車体の路面電車が走って行く。セント・チャールズ・ストリートという、有名な住宅地の一画だそうで、この見学ブランはリチャードあたりの発案らしい。
 基本的に同じ建築思考傾向による建物が延々と並ぶ。「ポーチと柱」というものが何が何でも絶対不可欠条件的二大特色となっていて、それぞれその広さと本数を競い合うというのが、この建物を立てた先住民の最も重要視した要素であることは一目瞭然だ。即ち、ポーチは船の甲板のように大きければよいし、そこに柱が百三十五本立っていれば尚よい。この建物の姿形には何となくなじみがあって、「風と共に去りぬ」に出てきたり、或いはホワイトハウスもこうじゃなかったかななどと思う。現地中学一年生三学期期末試験社会科「郷土の歴史」で「植民地様式」だの「ドリア式」だの、「竪穴削条溝」だの、「すめらぎ大宮殿他高床式」だの、「ウガヤトリアエズノミコト・ロケット弾跡」などという問題となって出て来るものに違いないと思うが、もちろん詳しいことはよく分からない。
 いやあ、とにかく延々と続く。車でたっぷり三十分走ってもまだ景色が変わらないのだ。アメリカ事情に詳しい日本コーディネイターのアキ天草生田によれば、とにかくきゃつらは、柱が沢山あれば偉いと思い、さらに内部に「金」というものを所嫌わず貼り付け、さらにそこにダイヤやルビーというものを転がせば一番偉いと思っているヤカラだそうだ。アキ天草生田の比較文化人類学のはざまに於ける態度発言は予想がつかず、ある瞬間に紅毛毛唐人をムシケラのごとく唾棄し殺すかと思うと、次の瞬間には、東アジア島国民族を全員オワイ桶の中でクサレ死にさせてくれる。
 このような会話のドサクサにまぎれて聞いた、正しいハンバーガーの食い方というのもあった。
 これはただただ押し潰せばよいらしい。それもパンを上下にひっくり返してギュウギュウに押し潰す。肉やらケチャップやらピクルスやらタマネギがグチャグチャとなってパンにしみ込み、かつ、ヘリの方から口にくわえて食いちぎりやすくなるという効果があるのだそうだ。こういうことを彼は独特の鼻音のきいたクールな声で言うが、そういうことをやって物を食う奴をアワレンでいるのかソンケイしているのかということは一切分からない。分からないといえば、ある通りの名前を、「セイネン」と発音されて、あたしゃあ分からなかった。これが「St.Anne」だと分かれば、ああた、アメリカン・フィーリングはバッチリなのよ。
 住宅見学のあとは、やはり、見ておこうというので、スーパードーム見学ツアーにまぎれ込んだ。ゲームも何もやっていない、だだっぴろい所をぼんやり見るだけで、相対的巨大さが今いち体に入ってこない。かわりに、年間貸切部屋がホテルの部屋のようにきれいだとか、宴会場がでかいとか、案内のオネエチャンが小柄で可愛かったとか、リチャード・オコンがポーランド系ユダヤ人難民の子供でブルックリン育ちだった、などということばかり憶えてしまう。貰ったパンフレットには、七万六千七百九十一人入るだの、それがコンサートとなると八万七千五百人だの、ドームの直径二百十メートル、高さ八十二・三メートルだの、エアコンディショニング九千トンだの、鉄二万トンなどと書いてあるから、その意味が分かって驚ける奴は各自勝手に驚いてもらいたい。
 スーパードームを出ると、真夏のニューオリンズはいやが上にも暑く、まぶしい。このあたりは近代都市でフレンチクォーターとは街の様子が全然違う。先ほどの「豪邸ストリート」ともまた違う。謎の多重時間都市なのだ。その多重構造から、うまいビールを飲める場所を探すと、やはりこれはフレンチクォーターということになる。湿った暗いバーが頭に浮かび、今すぐそこに入って行きたくなる。
 車に乗って駐車場を出かかる。駐車係は若い黒人娘で、食べていたポーボーイという馬鹿でかいフランスパン・サンドウィッチを置き、いたずらを見つかった時のような顔で笑いながら手をふき、金を受け取った。赤いランニングシャツの中の大きな胸が事あるごとにユラユラと揺れようとする。北さんはそれをすかさず写真に撮る。北さんはこのドライブの最初から助手席に座り、機を見てはバシャガシャギシと鋭い音をさせていた。ジープに乗り鉄砲を持って、サファリを走り廻っているのと同じだ。
 車中、アキ天草生田から米国フットボール麻薬事情を聞く。今や麻薬、つまりコカインは運動選手にとって必需品の様相を呈しているという。何しろ、このアクマの粉を鼻から吸い込むとたちまちアクマの申し子と化して全身ビシビシ、頭脳キリキリとなって不死身の大暴れをいやがおうでもしたくなる。当然そういう奴らが沢山いるチームの方が強くなるのだ。その証拠に、追放された疑惑選手が集まって正常人チームに果たし状を送り、試合をしたら圧勝してしまったので皆困っている、という嘘か本当か分からないような話もあるらしい。
 エリートビジネスマンや政治家や大統領などにも必需品となっているという説さえある。タチアガリに一発決めて、ギンギンとなり、どんな交渉でも圧勝してしまおうというのだろう。しかし、これがラリる薬だったらまずいわけで、
 「わひらは、もう、がまんできまひぇんから、いまひゅぐこのミヒャイルのボタンをおひまひゅ」などと言っているうちに、「あ、こいつラリってやがる」ってんで皆で取り押さえることができる。が、何しろこのアクマの粉はその逆で、頭脳明晰、身体健全、疲労皆無、弁舌立て板、意想奔放、というものなのだから、はたで見ていてもなかなか分からないのだ。
 などと言っているうちに、車は走り、フレンチクォーターの中で異彩を放つジャックスビルという近代的総合食い物ビルに到着する。
 真っ白い建物の入口に、黒いスーツの男がベニヤ板に張り付いて立っている。よく見るとロナルド・レーガンだった。すぐに近寄って行って左脇腹に左フックを叩き込む、鴻上目撃人がすかさず共犯実行人と化して右側からレーガンの首を締め上げる。すると、そばに居たアメリカ娘がそれをポラロイドカメラに撮って、五ドルふんだくられた。イノヴェイティヴ・アイディアズ社の「ポーズ・ウィズ・ザ・プレジデント」という商売だったのだ。しかし、ベニヤ写真とはいえ、いきなり東洋人二名に襲われたわけで、ニューオリンズに於ける要人暗殺防止警備体制の不備が指摘されなければならないだろう。
 中に入り、西友ストアー食堂街風のセルフサービス場所で、ようやくザウアークラウトを入れない正統ホットドッグとビールを手に入れてテーブルに座っていると、別のハンバーガー売り場から白人男がなって来て話しかけてきた。
 「あんた、『スナッグ・ハーバー』で弾いた人か」
 「そうだ」
 「サインしてくれるか」
 「いいとも」
 いい気分でサインをすると、「そうだ、ガールフレンドにもやりたい。もう一つ書いてくれ」などと言って、益々いい気分にさせてくれる。ニューオリンズに於ける芸人歓迎体制は万全と言わねばならない。
 ジャックスビルを出て、ぶらぶらと歩く。ジャズクラブの開く時間まではこれといったスケジュールも思い浮かばず、自然解散ということで、次の集合が午後七時とだけ磯プロから告げられているのだ。北さんと二人で、フォトセッションをしながらホテルへ歩いて行く。北さんは、取りはずされて倉庫の壁にもたせかけるようにして放置されている古い大きな「JAX」という文字看板の前におれを立たせて何ショットも慎重に撮る。何を考えているのか、いくらつき合ってもカメラマンの料簡というものはどうもハカリ難いものがある。
 夜、「ストーリーヴィル」へ。ジャズホール「ストーリーヴィル」は、その昔ニンナ元年一夜にして出来た、というのは嘘で、元々は由緒ある紅燈地区の名前だったのを、ごく近年、店の名前にして開店したので。そこへ一同入り込み入り込み、だだっぴろい室内の大きな木のテーブルに座り込み、飲み物を頼み、出ていたプレイサイド・アダムスというベース弾きのお方のバンドを聴く。ピアノは黒縁眼鏡の若者だが、あとはご老人だ。スリーリズムにラッパ、クラ、トロンボーンというきまりの編成にテナーサックスが入って
いて、この人も比較的若めだった。ワンセット終わると、日米両コーディネーターはさっそくミュージシャンがたむろするバーの一角に行って連中と話す。たむろしている黒い人たちが、ふんふんとうなずき、こちらを見る。こうして乱入ドレイの運命が今夜も決められた。
 次のセットの最初から呼ばれる。時間が早く、客がまばらだ。ピアノのすぐわきのテーブルに、ピアノを弾いていた黒人の若者が母親らしい婦人と座っている。何か話しているが、それが、「お前、いい加減でピアノなんかやめておくれ。ちゃんと学校に行って弁護士になっておくれ」「やめてくれよ、ママ、もう少し待ってっていったんだとろ。バンマスだってほめてくれるし、こうしていればお金も貰えるんだよ」「お金なんかいらないよ。お前を学校にやるくらいは、少なくなったお父さんが残しておいてくれているじゃあないか」などという青春ジャズ小説会話だったと思えなくもない雰囲気もあった。その若者と握手をして結構高いステージに上がる。
 何をやるかと聞かれ、見当をつけて「オール・オブ・ミー」と行った。イニシエジャズの微菌が体内に染み込んだらしく、こういう曲名が躊躇なく出て来る。キーはビーフラットということになる。指を二本出し、それを下に向けるようにして「ツーフラット」とも言ってしっかりと確認させてくれる。そのアダムスをとっつぁんが、足を踏み鳴らし、カウントする。演奏が始まり、とうとうおれは「ストーリーヴィル」でピアノを弾くという一瞬を終ってしまったのだった。
 ワンコーラスずつ回ってきたソロをとると、ラッパのとっつぁんが終わりの方でバンマスに向かって「ワンモア!」と叫び、バンマスがこっちを見てうなずく。有難くもうワンコーラスへと突入させていただいた。
 さらに「ハニー・サックル・ローズ」、「ブルース」と続き、気がつくとそのセットを全部やってしまった。
 ステージから降りてとっつぁん達と何だかんだと話す。アダムスとっつぁんは、ジョージ・ルイスと一緒に日本に来た事があるそうだ。その時の関係者各位には大変な感謝の気持ちを持ち続けている様子だった。
 例によっての、「日本食は食ったか、サシミはどうだった」的会話となり、とっつぁんの大好物は「ご飯の上に熱く似た卵をかけたもの」だという事が分かった。多分、カツドンかタマドンの事だろうと思う。ちなみに、マル・ウォルドロンはカツドンが大好物だし、エルヴィン・ジョーンズは「ピットイン」での演奏前に控室でよくテンプラウドンを食べている。
 やがて時間が来て次のセットが初まり、チャーリー・ミンガスとディジー・ガレスピを混ぜたようなキャラクターのアダムスとっつぁんは、「ミスティー」などを歌い出した。すると途中のソロをとったテナーの若とっつぁんが、バリバリのコルトレーンフレーズを吹きまくる、というジャガー・チェンジ(豹変)を見せてくれた、乱入ポンニチ人が豹変菌を撒き散らしたということなのかどうか、サダカではない。

  next