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・アメリカ乱入事始め/山下洋輔著 第三章

第三章 セントルイス篇

歌にうたわれたブルースの街

 乱入闘犬ゾンビと化してセントルイスに向かうわけだが、この「ゾンビ」という方々も今いち理解し難い存在だ。ジャズマンでゾンビに詳しいのはサックスの中村誠一だが、その話では、まず存在理由及び目的がよく分からないし、出現する理由や原因も確固たるものが無いらしい。フランケンシュタインや狼男や吸血鬼にはちゃんと筋道の立った背景が窺える。動作が不自由とか特別の能力があるとかなぜ人間に向かって来るか、などについて彼らには何となく納得のいく理由を感じる事が出来る。しかし、これがゾンビとなるとどうもよく分からない。血を吸いたいのか女が欲しいのか仲間を増やしたいのか食料が欲しいのか、はっきりせえ、と言いたいのだ。この辺がはっきりせぬままにきゃつらは実にだらだらした格好で歩き回る。動作は鈍く、知能は低い。死から蘇ったのだから、もう少し、修羅場をくぐり抜けて来たという凄みと知恵があっていいと思うが、それも無い。車のドアは開けられない。簡単な機械操作も駄目で、ピストルがあってもただヨダレをたらして眺めるだけだ。たまに好奇心を出して触ろうとする奴がいたとしても、ちゃんとは持てない。手が腐れているのだから仕方がないにしろだらしがない。かと思うと、中には急に人の脳や内臓が食いたい、などとも言い出す奴もいる。もともと死人のくせに、生体維持活動をするな、というのだ。といっている内に今度は、カンフーだか少林寺だかの格闘技をやるという大変「機敏なゾンビ」という音韻的にも軽やかなものが出たそうで、これはもう一貫性を求めて知恵の光を当てるべき対象では無かったのかも知れない。
 今いち、理解し難いユエンだが、彼我の国情の差というのもあって、ある時、天草生田が、話の分かると思っていた業界仲間の白人と話していて、「わしは昨晩は飲み過ぎて今朝はもう駄目かと思ったが、ゾンビのごとく蘇ってこの通り元気になった」と言ったら、笑ってもらえず、まじでイヤあーな顔をされてしまったという。何か宗教上の刷り込みがあるのではないかとも推測される。或いはその昔のイギリス人によるタスマニア原住民皆殺しなどの暗い記憶とも関連するのかもしれない。などどまあ、ゾンビについての話がつきないのだった。
 と言っている内に、飛行機が傾いて、眼下の河めがけて降下していく。ミシシッピ河とミズーリ河の交点、西部への入口セントルイスに着いたのだ。
 荷物受け取り場の壁一面にケバケバしい絵巻物が描かれていて、それはライト兄弟から宇宙船まで飛行機の歴史をだどっているのだった。なぜに突然こういう事をするかというそのココロはリンドバーグに違いない。
 「スピリッツ・オブ・セントルイス」というのが、パリまで飛ばしていった愛機の名前だった筈だ。あと、この街が東洋島国人に馴じみがあるとすれば西部劇で、「セントルイスの銃弾」「硝煙のセントルイス」なんでものが実在したかはともかく、すぐに脳裡に浮かぶ。
 それから何といっても、かの「セントルイス・ブルース」で、この曲が街の名前を世界中に知らしめたことは間違いない。ものの本によると発表された1914年以来、ヨーロッパ人は皆この曲がアメリカ国歌だと思っていたという事だ。「作曲者」はW・C・ハンディという印象的な名前の人で、「ブルースの父」ともいわれる。すると、ブルースの母は、当然、TOTO・ウォシュレットという名の女じゃないかとも思うが、サダカではない。
 ハンディは黒人たちの間で歌われ共有財産的な存在となっていた「ブルース」の節を五線紙に書きつけ、加減乗除して形を整え、出版した。こういう存在に対しては「何だ、うまい事やりやがって」と「いやいや、この人が居なかったら誰も知らなかった。偉い」の両方の御意見が浴びせられる事になっている。もっとも、御当地では一度も聴けなかった。セントルイスとは関係無い所で作られたらしく、歌詞も、セントルイスの男或いは女がやって来て恋人をとったのどうのというものの筈だったから、かえってヌレギヌ的に有名になったイマイマしさがこの街の人にはあるのかも知れない。大アーチのあるジェファーソンメモリアルパークの一画でも、ここを先途とスピーカーで流すなどというポンニチ観光地アイディアは無かった。ジャズクラブでも聴かなかったが、そもそも、ジャズクラブというものも実はこの街には無いという意外さであって、それで隣のユニヴァーシティタウンまで、夜になったら出かけることになっている。
ホテル・ラディソンというプールなどもついている大きなビジネスホテルに入り、すぐに出て来てフォトセッションをする。河べりを歩き回る。船尾に大きな水車を付けた観光船が行き来し、ヘリポートのある近代船からはひっきりなしに観光ヘリコプターが飛び立つ。骨格だけになった恒星間宇宙船のような丸型の巨大な船の残骸も浮かんでいる。一瞬その一画が「スターウォーズ」の一場面となる。さらに上を見ると、あっと驚くSF的光景で、異星の謎の空中建造物のような白銀色の大アーチが空を圧してそびえ立っている。地球上に似た物を探すとすれば、マクドナルドのマークの右半分だけを数万倍の大きさにしたものというしかない。これが河に向いて立ち、「ここからが西部じゃけん、皆、恐れ入るように」と言っているのだ。
その根本に記念館や映画館があったので野次馬観光局になってぞろぞろ入ってみた。「西部への道」とかいう映画を最初にやったがこれはもう実に退屈で、黄色ツリ目の一団は、とうとう怒り出し、なぜか突然「イナカ」及び「イナカモノ」の愚鈍なる精神構造について激しい罵倒の言葉を浴びせかけた。この「イナカ」及び「イナカモノ」というテーマは天草生田の持ち込んだもので、黒白黄色関係なく、とにかく「イナカ」は駄目、という思想が貫かれている。どうも見ていると、自分の好きなもの気に入ったものにはおとがめながなく、嫌いなもの気に食わぬものは一刀両断に「イナカモノ」としてコエダメの中に蹴り落とし叩き込む漬け込む、という癖が天草にはあるようだが、そのようなことも含めてこの基準は、尻馬に乗った我々にも安易に利用出来るものとなったのだった。
 二本目の映画は「大ドームが出来るまで」といったもので、これは面白かった。一九六〇代の同じ場所を見る事が出来る。さっき見た恒星間宇宙船はその頃からもう廃船となっていたことも分かった。
 そこを出てホテルに帰る前に、河の向こう側を車で走る。そちら側に行きたいと言ったら、ホテルの男が「ショットガンを持って行け」と言ったそうだ。だだっぴろい鉄道の操車場、無数に積み上げられたスクラッブの車、雑草が生え放題の無人のガソリンスタンド。人影はまったく無い。来た方、つまり西側を見ると、河の向こうに白銀色に光る細い半円型の巨大な印が、赤く染まりはじめた夕空を背景に空に向かって突き出している。
 I have to see evening sun go down
 というセントルイス・ブルースの歌詞を思い出すと、つまりその悪い男だか女だかは、西から来たか、西に去ったか、又はその両方、という行動をとったのだ。
 「セントルイスは、ハードな街だ」と、レコード店店主でこの街の接触相手であるトム・レイは言った。
 「だからブルースがある。黒人教会がいくつもある。そこがブルースの元だ。
 そこでブルースを身につけてミュージシャンになる者もいる。ここのミュージシャンはブルースフィーリングが特別に強いのだ。だから色々なジャズのバンドが彼らを欲しがり、引っ張って行く。マイルスもそうだし、ティナ・ターナーは元はここでやっていた。ブルースの無いジャズはジャズではない。そんなものは、四十階のビルの上から小便をするようなものだ。何も無い。黒人のジャズプレイヤーにはブルースがある。白人でも、アメリカ人ならブルースが分かる。でも日本人にはブルースは分からない。だから、ジャズは出来ない。
 おれはお前のことを知っている。一九七九年にニューヨークのニューポートジャズフェスで聴いているのだ。あれが、おれがああいうコンサートを聴いた最後だった。お前は、テクニックがある。パワーがある。だが、あれはジャズではない。インターナショナルミュージックだが、ジャズではない」
 ハンチングからTシャツ、ジャケット、ズボン、靴下、靴まで全身黒づくめで決めた、どこから見ても白人のトムは、思いつめの目つきも熱っぽくこのように喋りまくった。
 「そういう事も分かろうという旅をしているのだ」というと、ニヤリと笑って、「お前は、ミュージック・ウォリアー」だと言って、手を差し出して来た。握手をしてインタビューを終わったが、これが起きるのは実は翌日の話だ。

エレビで弾いた「ラウンド・ミッドナイト」

 トムの紹介で、ジェイムズ・クラッチフィールドというその筋では有名なブルースピアノのお方に会う予定が、その人は、女房とケンカして家から蹴り出されたとかで、二、三日前から行方不明になってしまった。そこでもう一人、ピアノスリムという人を探したのだが、そっちも二、三日居場所が分からない。連絡がついていれば現れるかもしれないというバーで、待ちながら話している内にこういう事になったのだ。
 ブルース問題、ジャズ問題は、基本的に難しい永久課題だが、ミュージシャン同士なら、実際に手合わせをしてそのたびに決着をつけるしかない。周辺にいるこういう強力な存在の人には、どうしてよいのかいまだに分らんのよ。
 ま、確かにそのような事を分かろうという旅でもあって、これからカンサスシティ、シカゴ、ニューヨークと渡り歩く内にも、この事は常に子泣きじじいのように背中に張りついて行く。
 天草生田と話すと、女房に蹴り出されて、裏通りを泣きながら徘徊するというのもブルースの典型だそうで、これを「Walkin' back street cryin'」と、表現するのだそうだ。「とっつぁんはどうしたい?」「He's walkin' back street cryin'」というブルース会話が成り立つもののようだった。
 急に翌日の話になったが、今はまだセントルイス市を流れるミシシッピの東岸の草ぼうぼうの無人ガスステーションでフォトセッションをしていたところだった。ガラガラヘビでも飛びついて来るんじゃねえかとビクビクしながらカメラを見る。北さんは平気で、例によって「あ、そこに立って、あっち向いて、こっち向いて、赤上げないで白上げる、と思ったらどちらも上げずに、逆立ちをして、ぐるっと回ってニャンコの目」などという事を、言うわけねえか。
 ホテルに帰り、夕飯時に集合して近くのレストランへ行く。かろうじて観光客用の一角らしき街角があったが、実にどうも活気が無く、ニューオリンズからミシシッピ河を遡ってきた黄白連合ジャズ探検隊としては、この街即座に「ゴーストタウン」などと命名してしまったのだった。
 ようやく良さそうなレストランに入り、それぞれ、ステーキ、魚介類などむさぼり食う。テディベア鴻上は例によって、これはまずい、何ようこれは、この国はどうなってるのよう、とわめき、天草生田から、「もはや、どうおいしいかではなく、どうおいしくないかという世界に入っているのだ」という訳の分かったような分からぬような講義を受ける。
 食い終わり、ジャズはどこだ、ジャズジャズジャズとわめいて、隣のユニバシティタウンまで走っていった。そこの「シセロ」というクラブにこのへんで一番うまい若手のピアノ弾きが出ているということだ。        
クラブの中は、学生らしいブラックブラザーたちで一杯だった。バーがありテーブルがあり奥の突き当たりに小さなステージがある。そこにドラムとエレキベースプレイヤーが乗り、前の床にエレビとシンセサイザーをあやつるキラキラ目の若者がいた。ピーター・ウィリアムスで、評判通りうまいプレイヤーだった。十六ビート系のリズムに乗って、バリバリに弾きまくる。エレピとシンセの使い分けもよく、特にシンセを楽々と肉声のように扱う様は気持ちが良かった。シンセを、「これシンセじゃけん、ほら、こういうシンセの音がして面白かろうが。ほらほら、あ、これも面白い、これも面白い。グイーン、シャカタカ、キュイーン」というのは、どうも今いち難解なものがあったんだが、こういう風だと良く分かる。アコースティックピアノでは絶対に出せない音を自分の肉声として軽々と扱っているのだ。そんなこたあ、当たりめえだ、わざわざ、アメリカまで行って初歩的な事を分かって来るな馬鹿、と言われるだろうが、おれも皆様同様、いい加減なくせに手めえ自身の発見という舞台背景が無いと、人が、とうからそうだと認めている物事でも決して芯から納得しないといういやな性質なのよ。
 バンマスがキーボードで、ピアノは無いのだから、まず乱入という事にはならないと思ったが、なになにこの乱入奴隷闘犬ゾンビの旅は、そのようなヤワな根性で成り立っているのではなかった。御主人様たちのけしからぬ意欲は物凄く、「エレピもシンセもピアノも同じだろうが、え、どこが違うんだ。え、おらおらおら」という、平家物語ヒヨドリゴエ馬も四足、鹿も四足的類似物安易同一視、それがどうした早くやれこの野郎何の為にここに来ているのだ思念が、波となって押しよせてきて、気がついた時には、やるという事になっている。最終セットの最初に呼び出された。
 結構ガンガンやっている雰囲気に鑑み、時間もそろそろ良いあんばいなので、まずスローの「ラウンド・ミッドナイト」をやり、もう一曲早いブルースコードのものでアバレまくって引きあげようとたくらんだ。ところが、「ラウンド・ミッドナイト」を弾き終わるやいなやピーターが拍手をしながら出て来て、紹介され、つまり、一曲だけの乱入スペースしかなかったのだ。
 司会進行もやるピーターは、次に歌のおばちゃんを呼び出して「いそしぎ」その他を神妙に伴奏した。ニューオリンズで見たようなブラックマジック的表意現象は現れない普通のおばちゃんだった。
 最後の演奏で、ピーターはがんがんに弾きまくり、ほとんどフリー状態となった。終わって、早口のスピーチを行い、歌手とTOKYOからの乱入者を改めて紹介してくれる。席から立ち上がって拍手を受け、右手を振って客に挨拶をした。するとそれを見たピーターが、「はは、ははは、あれがトキョウ式挨拶だ。トキョウじゃ、ああやるんだ、ははは」などという妙なフォローを行った。手つきまで真似したところ見ると、何らかの揶揄であったのかも知れない。それにしては本人があがっているようでもあり、毒気が少ない言い方だった。といって、立ててくれようとしているにしても、ややうわすべり気味の態度なのだった
 楽器を片づけ始めた三人のところへ行き、握手をする。ピーターは、それが特徴のセカセカした態度で手を差し出して、「やあやあ、You inspired me」と言う。自分の地元町の地元場所でやっているところへ、外国から何やらうるさそうな一団と共に同業者がやって来て弾かせろというわけで、自分とバンドと客と歌姫とやりたいこととサービスと常連と仲間とオーナーとエレピとシンセの面倒をまとめて全部みるのだから大変だ。
 この晩のことを後に鴻上の奴は、おれが欲求不満となり、鼻の穴から煙を吹き出してそこら中を走り回ったので、皆でドウドウとなだめて連れ帰った、などと書いているが、そんな馬鹿な事が、実はあったかなあ。ニューオリンズでの乱入がすべてワンセット単位だったから、ついここもそうだという先入観があって、それにひょってプランを立てたのだが、それが封じられてしまったというわけだ。乱入者の心得というようなものがそろそろ姿を現すのかもしれない。まあ、原則としてはバンマスの一存ということだが、こちらは一曲でも一音でも出せるチャンスがあったらそれが最後と思って手めえの音を悔いなく出しておかなければならないのだった。余計な読みをした分だけ邪心がアラワとなって、ま、ハズカシカッタとこのようなことだったのだろう。
 帰りがけに、カウンターに座っていた男がわざわざ来て、大声で良かったなどと言う、ほとんど唯一の白人だった。目を見ると、やや常規を逸し気味の不気味な光を放っている。たしか、文化人類学関係の本に書いてあった現象を思い出す。その集落の最初の接触者というのは、かならずしも中心部の文化を代表する者ではなく、むしろ、ハズレモノのことが多い、というものだ。この言葉は大変印象的で、どの現象にも当てはめてみたくなる。
 店には、ジャコ・パストリアスのバンドに一時いた事があるというサックスのブッチ・トーマスも来ていて、明日、友達の出る別の店に行って一緒にやろうなどと話をする。これらはすべて、リチャード・オコンの根回しによるものに違いなく、とにかくその街の最も面白そうなジャズ関係者とは大体会えるということになっているのだ。と言いつつも、やはり、セントルイスはイメージに反してジャズの少ないというかほとんど無い街なのだ。誰からともなく言い出した「ゴーストタウン」という命名は当っていなくもなく、北さんの披露した知識によれば、人口減少率が全米第一位ということだった。

どろどろのソウルフッドを初体験

 翌朝、といっても例によって昼過ぎ、ブルースピアノのジェイムス・クラッチフィールドに会いに「オフ・ブロードウエイ」という生演奏も出来る大きな店に行き、そのとっつあんが、女房に蹴り出されて行方が分からないという話を聞き、レコード店「ヴィンテージ・ビニール」の店主トム・レイと話す内に、インタビューとなり、トムが前出のような「セントルイスブルース立国及びジャズアメリカ独占説」をぶちあげたことは前に書いた。
 このへんで分かってきた事は、とにかくこの国は、どこに行ってもまず、「二つの街」を意識せねばならないということだった。つまり、白人の街と黒人の街だ。黒人の街には教会があり、そこでは日常的にゴスペルがありブルースやジャズの根が保たれている。そこから、音楽家、というものがどういう形で成り立ってくるのかは色々と複雑な経過があるだろうが、とにかくそこには「ジャズ」とは切っても切れない時間が今も流れ続けているらしいのだ。この間ブルーノート・レコードの専属になったテナーサックスのベニー・ウォーレスは白人だが、話を聞くと、生まれた街のテネシーでジャズを始めた時には黒人居住区内のバーなどへ行くしかなかった言っていた。むしろ、それが当然というわけで、ま、白人の両親がそういう息子を心配して半狂乱になるという「青春小説」的状況があったかどうだか知らないが、とにかくそういうことなのだ。ちなみにベニーはある意味の「白人差別」が仕事上あるという意見も述べていた。デモテープを送り、気に入られ、会いに行ったら、「あ、お前、白人だったのか、残念だ、また今度来てくれ」てな事があったらしい。
 それはともかく。黒白互いに境を接して住んでいて、それぞれが一方にとって異境であり、魔界であり、或いは宝物だらけの夢の国であるかも知れないという状況は非常にダイナミックな構造でもあるのだ。勿論、背景となる歴史は、ヨーロッパとアフリカを巻き込んでさかのぼるわけで、黒い方の人々はここに自分の意志で来たのではなかった。では、こっちに来ていなかったらアフリカでどうしていたか、などと言い出すとこれはきりがないが、その場合は多分、この世にアフロアメリカ音楽というものが今のような形では存在しなかっただろう。するとこのような形ではブルースもジャズも無かった筈だ。そうすると、多分、プレスリーもジャズも無かった筈だ。そうすると、多分、プレスリーもビートルズも居なかったんじゃないかという一見飛躍的なしかし多分当っている推論も成り立つが、まあ、そのように世界の文化史に直結する黒白境界接触現象なのだった。
 こういうところであちら側から「ブルース」という言葉が発せられた時に、それを共有出来るとは「他民族」には言いにくい。ただ、彼らはそれを唄にし、言葉にし、音にして外へ向かって表現した。その「音」になった段階で初めて我われがその世界に触れる事が出来たのだ。そこから先、「音」と「生活」が入り乱れつつ発せられるこのブルースの節が世界にどのように突き当たっているかという現象は興味深いのだが、それとは別に、あちら側のシンボルとしてのブルースという存在がある事は間違いが無い。
 となると、シンボルの扱い方も色々だろう。たとえば、何かというとすぐブルースと言い出すのは、すぐに印籠を出す水戸黄門のようかもしれない。有難味が薄れるのも確かだ。或いは切り札と考えている奴もいるかも知れない。その切り札を演奏上、生活上、どのように出して来るかによって人を見る事も多分出来る。
 「黒人だ、ブルースだ」と言う時の、言われ方にも勿論よるが、場合によっては、自分の才能の本当の凄さに気づかず、それをコントロール出来ない、しかも志の低い天才が、酔っ払ってクダをまく、などという状態と重なるような気がしないこともない。それにつきあうのと同じタノシミとクルシミとソンケイとイイカゲン二シロヨテメエ的反応がこちらには入り乱れて生じて来たりもするのだ。
 トムが「お前は、ミュージック・ウォリアーだ」と言って話が終わった。ブッシが来たので聞くと、教会ではコーラス隊に入っていたと言う。なんの屈託もない顔だ。
 「腹はどうだ、ソウルフッドを知っているか、食いに行くか」とトムが言う。皆面白がって行く事になった。人気の無い街のさらにはずれの一画に車を乗り入れる。五、六組のテーブルがあり、片側にカウンターがあってその内側に映画「ブルースブラザース」に出て来たアレサ・フランクリンの様なオバチャンが居て、その前に料理が山積みだ。ソウルフッドはチキンとスペアリブしか知らなかったが、ここには豚の耳、豚の足、トウモロコシパン、キャベツ、マメ、そのほかよく分からないものがいくつもあった。これを天草生田は、「どろどろのソウルフッド」などと、例によって喜んでいるのか馬鹿にしているのか分からないクールな口調で呼び、勝手知ったる様子で結構うまそうに食う。
 「すごいなあ。何ようこれ」テディベア鴻上は騒ぎ、おいしいですか、と天草に聞く。チキンの足をかじっていた天草は、端正な天草顔に決意をみなぎらせて、「わたしは、これはうまいと思います」と宣言した。おれは豚耳とトウモロコシパンを食ったが、豚耳には醤油をかけたかったという、これはどこの国へ行っても起きるショウユ中毒者のワンパターン反応だ。
 ここよりもう少し広い食堂に映画ブルースブラザースはやって来る。昔の仲間がカタギになってアレサ・フランクリンの演ずる女房と真面目にやっているのを、再びバンドマンをやれと誘いにくるのだ。白人男が二人ジェームス・ブラウン牧師の説教する黒人教会で「啓示」をうけてブルースバンドを再びやることに決めたというのもおかしいが、よろこんで行こうとする亭主を、あんな悪白人にだまされてブルースのバンドなんかやりに行くなと、アレサ・フランクリンがゴスペルで歌い踊って止めるというのも、倒錯的エスニック・ジョークともいえるかもしれない。急にそのようなことを思い出したが、ここでそのような話題を出してゲラゲラ笑えるとはとても思えないという、トムの真面目さなのだった。
 テディ鴻上は、ブッシと一緒にいた若い男と何事かわあわあと喋りあっている。あとで聞いたら、
 「なんだこの街は、何も無いじゃないか」
 「そんな事はない、アーチがある」
 「そういうものの事を言っているのではない」
 「野球場がある」
 「そうではないの」
 「バドワイザービールの本社がある」
 というような会話だったらしい。
 成程そこから出てホテルに帰る途中に古い煉瓦造りの大きなバドワイザー工場が見えた。しかし、相変わらず街には人影が無くカンカン照りの昨日とはうって変わった雨模様のセントルイスは、鳴り響いたその名前とはうらはらにひっそりとそのシンボルアーチを暗い空にかかげている。
 部屋に入り少しくたばる。九時にブッシが来て一緒に演奏できる所へ行く事になっている。
 テレビをつけてベッドに引っくりかえった。戦争映画をやっていて、敵は日本軍らしい。画面の日本軍の兵隊がどこのものとも分からぬ日本語、つまりハナモゲラ語を喋りつつ攻めて来る。こういうアメリカ映画を吹きかえでやる時の疑問点を思い出した。その場合、主人公たちの喋る英語が日本語になっているのだから、そこに出てくる日本兵の喋る日本語は、日本語であってはいけない。それは主人公たちには理解不能の謎の凶暴民族語でなければならないのだ。「日本語を喋っている主人公たちには理解不能だが、彼らにも観客にも明らかに『日本語』と分かる新言語」が用いられなければならないわけで、これはもうハナモゲラ語以外に無い。というより、ハナモゲラ語が実用の役に立つとしたら、このような用途しか無いのではないかとさえ思える。
 「あれこれ、はれ、とてちて」
 「むことに、きちくべいえい、せめてけねけ」
 「けてめら、ことよせて、いてこまさたれや」
 「こまさたれや、あかちばらちいいいい!」
 「あかちばらちいいいいい!」
 などといって攻めて来る。これに対し、日本語を喋る白人の顔をした主人公たちが、「よし、リトルジョン、右へ回れ。カービー、ついて来い」と言って応戦すれば画面の中の虚構の世界の論理性は一貫する筈だ。さらにこの逆というものも考えられる。つまり、アメリカで吹きかえで上映される日本映画に、アメリカ人が出て来て英語を喋ったらその処理はどうするかだ。日本人の顔をして英語を話す主人公たちにも観客にもその英語は分かってはいけない。字幕が出て初めて観客には分かるのだ。つまり、英語を話す日本人の顔の主人公にとってそれは明らかに英語だと分かるものの、その意味は分からない。そういう言葉が必要なのだ。一体どういうものになるのだろう。さらにここにフランス人やドイツ人やイタリア人、それにロシア人にギリシャ人が出て来て喋りまくるという日本映画だったらどうなるか。当然それらすべてに対応する新言語が作られねばならない。大変だが、ヒントはある。方言ハナモゲラというものがかつてタモリによって実行されているのだ。
 「えべ、せねけで、んだばさで、あじゃれもきなばださしべだ」
 というのと、
 「そなこなほな、せねとってん、ほってんはってん、へねせけなし?」
 となるのとでは明らかに地方が違う。これを応用すれば西洋何十カ国のハナモゲラ語が何かとまかなえる筈だ。
 などと錯乱しつつ、寝てしまったようだ。

フランス料理屋顛末記

 電話のベルの音で目を覚ます。早口の英語はトムだった。ピアノスリムが今晩どこそこのなになにという所に出る、という情報を教えてくれているらしい。アキ生田の部屋番号を教えて確認してもらうことにした。テレビはいつの間にか番組が変わっている。エリマキトカゲが出て来て二本足で走り回り、そのまま川に飛び込んだ。どうなるかと思ったらそのままキリストと化し、凄い勢いで水の上を走って向こう岸に渡ってしまった。これにはあきれ、一人で笑いこける。タイトルが出て来て、「コスタリカの動物」という番組であったことが判明した。
 九時にロビーに降りて、集合。ブッシを交えた六人でレンタカーのフォードステーションワゴンに乗り、リチャードの運転で郊外へと向かう。ハイウェイを小一時間走って降りると、立派な西洋館お屋敷の建物があった。その中に、「バスティーユ」というディスコがある。若者でむれかえっているが、殆どが白人だ。典型的な地方都市郊外集落所という感じで、ウエスタンバンドが出て来てもおかしくない雰囲気がある。何となく野暮ったい感じに着飾った娘共が、リンゴのホッペを光らせてあちこちのボーイフレンドとつどっている。
 バンドは、丁度休んでいて、メンバーらしき男達が壁際にたむろしている。ブッシの紹介で皆と挨拶をした。白人の若者が、シンセサイザーだが良いか、と言う。分からないから、音色や何か勝手にセットしてくれ、と頼むと快くやってくれた。ヴォリュームの位置、それから何と言うのか、のばした音の音程を五度位上下させることの出来るレバーの位置を確かめる。シンセは、過去一度だけ人前で弾いた事があって、それはこっちに来る直前にやった神宮絵画館前の野外祭りだった。ジョイントをやった橋本一子にそそのかされて、肩からかけて弾くショルダーシンセというものを一曲だけやってみた。当然両足で立ち上がって弾くわけだが、人前で立って何かやるというのは大変座りの悪いものだ。ま、そりゃ座っていないのだから座りが悪いのは当然だが、よくこういう恐ろしい体位でやっていられるものだと、他楽器の方々を尊敬した程だったのだ。苦しまぎれに、ドサクサに紛れてギターのように振り回したり、おそれおおくも渡辺香津美大先生のギターとネックをからませて迫りあうなどのハシタナイ行為などもしてしまったが、ま、これは一時のアヤマチというものだろう。しかし、今、その一時のアヤマチ体験を利用して乱入しようというわけで、もう完全に乱入菌が全身に回り果てている。
 次のセットが始まると、何曲か連中がやり、最後の曲で「トウキョウから来た何とかかんとか」と呼び出された。いやに横にだだっぴろい高いステージに上がる。やる曲は打ち合わせておいたマイルスのジャック・ダニエル、いやちがった、ジャン・ピエールだ。シンセの位置は壁にそって湾曲しているステージの一番下手で、サックスのブッシは一番上手側だ。その間に、ドラム、エレキベース、ギター、そしてヴァイオリンがいるという妙な編成だった。ベースが黒人で、あとは白人の若者だ。バンマスはヴァイオリンでフランス系であることが後に判明する。器用なアドリブをとった。ブッシは皆から一目置かれ、吹きに来てくれたのをメンバーが喜んでいるのが分る。興奮気味の雰囲気が伝わって来る。こちらもシリウマに乗って充分楽しませてもらった。結構長いソロを取った。メンバーが掛け声をかけてくれたりするのでついつい色々やってしまったのだ。良い気持ちで終わり、ビールを飲む。気がつくと左足が異常にこわばって痛んでいた。すぐに原因が分かった。シンセを立ったまま弾いていたからだ。両手を鍵盤の上に置き、ヴォリュームを右足のペダルで操作する、という体勢だから、ソロの最中は左足一本で立っていることになる。さらに、座って弾く時の習性で上体が前後左右に動き回るから、弾いている間中暗黒舞踏的片足体重支え的ケンケン行動を行なっていたことになるのだ、痛くもならあな。
 痛てて痛ててと言いながらビールを飲んでいると、ニコニコ顔のおっさんが現れて、もう弾かないのか、と聞く。もう弾かないと言うと、オーバーな身振りで残念がった。ここの館のオーナーだった。非常に上機嫌で、他の部屋を案内してやると言い出したので、一同ゾロゾロとついて行った。高級そうなレストランになっている部屋がいくつもある。ディスコのざわめきはここには聞こえない。来る事が分かっていれば、フランス料理を御馳走したのにと言う。レストランの営業はもう終わっている。英語が少し変で、実はフランス人だった。壁にかけてある写真をさし、自慢そうに笑う。オーナーと有名人らしい誰かが談笑しているという、ありがちなやつだ。その人物が誰なのか分からぬまま、あいまいな微笑で写真をめでていたら、オペラ歌手のルチアーノ・パヴァロッティだという事を、天草生田が思い出した。と言われてもよく知らず、ますますあいまいにめでる。オーナーは上機嫌で、とうとうだだっぴろい台所にまで案内する。さらにその奥の扉を開けたので、いよいよ禁断の秘密クラブついに姿を現したセントルイスの真相、かと思ったら、そこは単なる使われていない宴会場のような所だった。その広間の真ん中に小型のグランドピアノが置いてある。
 オーナーはピアノに近寄り、どうだ、という様に両手を広げる。自分で弾くのかと思ったらそうではないようだ。習性として近寄り、蓋を開ける。見た事の無いメーカーだった。ピアノに触れるのが久しぶりなので思わず椅子に座ってキーを押していった。するとオーナーは小走りでどこかに消え、やがて女房らしい女性を連れて戻って来た。ピアノから立ち上がってその場が終わりになり、次の場面へ進むのを待ったが、このシーンはまだ続くらしく、オーナー夫妻は体を寄せ合って立ち、ニコニコしながらおれとピアノを交互に見る。このシーンが終わる為には、このピアノが急にやって来た妙な日本人によって弾かれることが必要だという流れに否応無しになっているのだ。こそで、いや違った、そこで、どんどんとボレロを弾いてしまったという無節操さだが、なに、乱入腐乱菌が全身に回り果てたゾンビ男にとって、こんな事はもはや何でもない。やれと言われればこのまま朝までだってやってしまうのよ。最早、乱入の意義もプランも忘れ去られ、唯ただ本能のままにうごめくゾンビジャップの姿があるのみなのだった。

ブルースしなけりゃ意味がない

 台所裏極私コンサートが終わり、ようやく場面が動いて、一同再び台所を通りかかる。と、オーナーは皆を制して立ち止まり、かたわらの大きな冷蔵庫から大きな丸いケーキ台を取り出し、熟練の手つきでその上にチョコレートをかけはじめた。切り分けて皆にすすめる。先程フランス料理を食いそこなったと知って、急に昼間のどろどろソウルフッドを逆恨みし出していた磯プロは、大変おいしくいただいた、と後に語っている。しかし、不可解というより、もはや一貫していると言うべきなのだろう、ここで天草はあからさまに嫌悪の表情を見せつけた。当然ケーキは食わない。ケーキ嫌いとかダイエットではなく、このオーナーへの批判精神であるらしかった。ケーキを食う他の者をニガニガしげに見ながら天草は日本語でノノシリの言葉を吐き散らした。いわく、酒を飲んでいる人間にケーキを出すとは何だ。親切ではなく、無神経の押し売りだということも分からない。だからイナカモノはいやだ、もう二度とここには来ない。とまあ、えらい勢いの弾劾一人言なのだった。日本で会っていた時には思いもよらなかったハゲシイこだわりが天草にあるという事が徐々に判明して来たのだが、それがどういう一貫性を有しているかについては、さらにこれ以降の旅の中で明らかになって行くと思われる。とにかくこの時に他の者は初めてクールな天草のあからさまなイカリを垣間見てそれぞれの感慨を持ったのだった。しばらく後になってこの日の事を話した時でさえ、天草は「よほど殴ってやろうかと思った」などとますます強いので、あの時に無反省にケーキをむさぼり食った他の一同は、何事か大変な罪悪感と共に、一緒に殴られなくてよかったという安堵の吐息を洩らさざるを得ないのだった。
 特にその前に喜んでピアノを弾いた者などは罪が重いのではないかと思われるわけで、ここに「乱入相手を事前にどう差別するか」という問題が生じて来るのだが、これについてはカンザスシティに行ってからあらためて報告したい。
 再び車に乗って、セントルイス市内に戻る。深夜十二時に「34クラブ」を探し当て、入って行くとそこにピアノスリムがいた。
 そのバーのオーナーらしい白人がバーテンをやっている。カウンターと数個のテーブルとジュークボックスだけのせまくて暗い店だ。後で知った事だが、開店が一九四二年、つまりおれの生まれた昭和十七年だ。という事は真珠湾攻撃の次の年、太平洋戦争のさ中に出来たということになる。入ると左側がカウンターで、奥に四、五人の中年白人男たちが飲んでいる。入口のすぐ右にアップライトピアノがあって、鍵盤が壁側を向く様な位置で置いてある。普通アップライトピアノをこうするとプレイヤーの姿が見えないが、平べったい型だから、弾いているピアノ弾きの上半身が見える。
 ピアノスリムはサムライの様な顔にがっかりした体つきの大男だった。ガンガン弾き、よく通る野太い声で歌う。
 そのセットが終わった時に少し話をした。こちとらも酔っぱらっていて、よく覚えていないが、ピアノも歌も自然に憶え、軍隊に行っている間もよく練習は出来た。ずっとヒューストンでやっていて、それからも方々回って、ここセントルイスは四年前に来た。とまあ、こういうようなことだった。自分のやっているのは、いわゆる「テキサス・スタイル」というのだと教えてくれた。
 シンプルで強い左手の動きなのだ。ピアノスリムの腕は太く指はごつい。音も声もあくまでもデカい。胸板は厚く、ケンカも強そうで、特にその目が不思議だった。「蛇の目」というしかない。中に同心円が幾重にも埋まっているような輝き方をするのだ。こういう人なら、金か、女か、クスリかでギャングとあやがついて大立回りとなったりしても似合う。そうやって街から街へと渡り歩いたのではないか。いまだに行方の分からないもう一人のピアノ弾き、ジェイムズ・クラッチフィールドの姿形は分からないが、このタフガイのピアノスリムには、「女房に蹴り出されて」というシチュエイションは似合わない。このタフガイだったら、行方不明の間中、実はハードボイルド小説の主人公となっていて、夜の裏街から裏街へと走り回っていたと言われても納得できる。
 次のセットのおしまいに、バーの白人客が、「ヒルビリーをやれ」などと言う。ピアノスリムはちゃんと応えて、テキサスブルーススタイルにしてなにやら歌ってしまった。
 この常連らしい男たちはこんな夜中にいきなりやって来た日本人グループに興味を示し、酒をおごってくれたりしたが、そのうちカラミはじめた、と、これまた天草方面での出来事だ。一人がふらふらやって来て、これからおれの家で飲もう、などと酔っ払い声で言ったらしい。横柄だし、何をされるか分かったもんじゃないし、第一気に食わない奴だったので、いやだと答えると、おれの招待が受けられねえかとからみ出した。ぐだぐだ言っているうちに、そいつはセントルイス・カージナルスの事を言い出した。
 「カージナルスがな、手めえたちの国さ行ってな、負けて来ただ。くそお」
 「そうだ五回負けた」
 「負けるわけさねえのに何で負けるだか。くそお」
 「シーズンオフだろう」
 「あんだとお」
 「シーズンオフに日本に観光に行ってるんだから」
 「それがどうしたちゅうだ」
 「だから負けてもいいだろ」
 「ばかこくでねえだ。遊んでいたって、酔っぱらってたって、カージナルスがジャップのチームに負けるわけがねえだぞ」
 「・・・・・・」
 「あんだら屁みてえなジャップ野球に負けるだか」
 「・・・・・・」
 「なしてジャップ野球だらに、カージナルス負けでせべだがや」
 カウンターをどんどん叩きはじめた。天草の切れ長の目がキリキリと釣り上がってくる。米国中西部の典型的馬鹿中年白人を、日本人音楽業界関係者が殴るという事態が起きる前に一同そこを出る。もっとも殴りあいになったら負けていたにちがいない。あいつら、太平洋戦争の開戦を懐かしんで毎晩トグロをまいているやつらに違いないからだ。バーを出る時には酔っ払い男は、「なじでだばカジナルズげジャップベシボールにだばさ負げでじまたげれへれべれでへだべし」などとわけの分からぬ言葉をわめき散らすクサレ果てたイナカモノと化している。あとで調べるとカージナルスは、一九五八年以来来日していなかった。一体どういう回路でこういう会話になったのだ。
野球といえばこの時期、快進撃していたジャップの、いや、違った日本の阪神タイガースのバースが米国新聞へのインタビューを行った。「金の為だ。自分はもう本当の野球をやっているのではない」という調子の、完全に大リーグ失格者の大リーグ及び米国野球ファン向け許してちょうだい発言だ。べーろい、てめえ、いいかっこしやがって。日本で野球やってて嬉しくねえのかよ。アメリカじゃ打てなかったホームランやヒットを沢山打てて三冠だヘチマだと言われりゃ嬉しいいだろうが。ああん? どこへ行ってもサインせがまれて尊敬されて、それが実は嘘だってのかよ。くぬ野郎。べーろい。日本の野球を馬鹿にすんじゃねえぞってんで、アタマをポカポカ殴りたい。しかしまあ、あくまでもこうして自分の国の誇りに操を立てる姿も、理解出来ないわけではなく、うっかりすると、やはり男らしい、ああエライ、などという気持ちも湧き上がって来たりもするのだ。この問題の起きる原因は、つまりは、ヤンキーの方がジャップよりも圧倒的に野球が強いわけで、これは結局、「グヤジー」とわめくしかないのだった。
 翌八月二十日。カンザスシティまで車をぶっ飛ばす前に、トムのやっているレコード店「ヴィンテージ・ビニール」へ寄る。店内を見学していると、行方不明の筈のジェイムズ・クラッチフィールドがやって来た。どういう情報伝達手段があるのだろう。偶然というよりは、明らかに会いたがっている奴らがいると聞いてやって来てみたという感じだった。女房の機嫌が直って家に入る事が出来、ついでに伝言をうけとったということか。小柄痩身の人なつっこい顔立ちの枯れたとっつぁまだが、目は明るく輝いている。
 色々話してくれたのだが、ナマリというか独特の発音というか、おっしゃる事がほとんど分からない。まあ大体こちとらの英会話能力は、上から松、竹、梅、毒、蛆、とわけた場合、喋りが毒の下、聞き取りが蛆の下だから仕方がないのだが。その共同体特有の特殊用語もあるに違いない。
 ポンニチでもドンバはこのように言葉を引っくり返す。もっとも今ではヤノピもナオンも分かってしまうから、いっそのことセメネケをヘレメケにしてケタロペッへにしようなどという試みもある。ジャズ関係英語の誤訳で有名なのは、「その時、そのバンドにチャーリー・パーカーとディズイ・ガレスピがやって来て座り込んだ」というものだ。バードとガレスピが座り込んじまっちゃあしょうがねえ。何をしようてんだ。これは、「sit in」で、飛び入りで演奏する事、つまり乱入の意味だ。こういう特殊用語は他にもおれが知るだけでも多々ある。気をつけてくれよ、関係者は。
 それで、クラッチフィールドとっつっぁんの言った事でようやく分かったのは、
 「お前、歌は歌えるか」というお言葉だ。
 「いいえ」
 「ピアノだけじゃ駄目だ。歌を歌えた方がよいぞ」
 「どうしてですか」
 「その方が、仕事が沢山ある」
 ブルースピアノ弾きの営業上の秘訣を伝授していただいたのだ。
 「何が原因で女房さんに蹴り出されたのですか」とは聞きそこなった。
 いつの間にか、ピアノスリムもやって来た。二人の出しているレコードを買い、挨拶をして出ようとすると、トムが「女房だ」と言って、お腹の大きい可愛らしい顔立ちの黒人女性を紹介してくれた。今日もハンチングから靴まで黒づくめで決めているトムのセントルイスブルースは、あっぱれ一貫した言行一致を示しているのだった。
 出発前に昼飯の時間となる。通りの向こうに中華料理屋があるのを見つけ、とうとう、もうアメリカ飯はいやだ中華を食おう、とわめいてしまった。中華屋にさえ行けば、とにかくメシに醤油にザーサイがある。ヤキソバに酢もあるかもしれない。これはヨーロッパ旅行中に学んだ悲しい知恵だ。鴻上、北島、磯田の三名は賛成の風情だったが、天草とリチャードはハンバーガーの方が良さそうな顔だった。ニューオリンズで二日酔いの時に、「こういう時には、キツネウドンが一杯あれば」などと言って、たしなめられている。この国ではそういう考え方をしてはいけない。グチャグチャの二日酔いの時に、「ああ、こってりしたピザさえ食えば直る」という風にならなければいかんのだそうだ。なれるわけねえだろう、そんなもん。
 その時は車中だったが、ヒソカにたまりかねていたらしい北さんが、「ザルソバ」などという言ってはならぬ禁断の郷愁幻食物のことを急に言い出し、おれの気を狂わせた。ほかの物は何とか外国に代用品がある。中華屋に行けば何とかなるし、もしそれが駄目でも苦肉の策として、漬け物ならピクルス、オリーヴの塩漬け、ザウアークラウト、うどんならスパゲッティというようにだ。しかし「ソバ」だけは駄目だ。刺身も無いだろうと言われているだろうが、おれは刺身は嫌いでまったく関心がないから、そっちはそっちでどうとでも勝手に困ってくれ。ともかく、そういうわけで、「ソバ」の二文字が外地では禁句になるゆえんだ。外国旅の経験者なら当然わきまえていなければならないそのオキテを北さんが何の前触れも無くいきなり破り、「あーあ、こういう時はザルソバなんか食いたいですねえ」と大声を出したのだから、こちとらほとんど死にそうになったのだ。
 「あ、それ、ありなのね」とイカらざるを得ない。「ようし、言ったろうじゃないの」
 それで、逆襲した。家の近所の葉山御用邸前の「一色そば如雪庵」が、どの様に素晴らしいソバを作るかを力説した。特にせいろそばが、その硬さ、長さ、色艶、歯ざわり、盛り加減、タレの味、タレの量、すべて完璧で、お陰でよそでは一切ソバというものが食えなくなってしまったのだ。余程相性が良かったのだろう、これに出会ってからは、よそでどのようなモリ、ザルを食べてもうまくなくなった。従ってこういうものを食べなくなる。次に、あのようにうまいものを熱いおつゆにひたして食うというのがもったいなくなって、おつゆもの一さいが消えるという経過となった。つまり、冷たいのも熱いのも、この世からソバというものが、あの場所で食うせいろそば以外無くなってしまったのだ。
 だからおれは、今ではそとでソバ屋に入ると、何のハズカシサも無く、いきなり「カレーうどん」などというオゾマシクモ邪道な食い物を注文するということになる。どうせ他にうまいソバなど無いし、誤魔化してシルものにするということも出来ない思想体系が確立されてしまったから、こうなるしかないのだ。超絶美人の許嫁を持つ男が、大ブスの女郎ばかりと遊び狂う真理と同じだ。違うか。
 ま、ともかく、このようなことを言うと、いや日本人というのは嬉しいもので、どいつもこいつも必ず「それなら、おれの行きつけのここがうまい」と言いやがる。中にはカッとなってすぐその場で手帳の紙をバリバリと引きちぎり、そこにひいきのソバ屋の場所の地図を書き、憤然としてつきつけた編集者もいる。
 北さんも負けてはおらず、すぐさま「一番うまいソバは、絶対に自分の実家の三軒先にある家のオバアチャンの作る手打ちソバだ」と言いはる。その実家はどこだと聞くと、長野の山奥だなどと言うのだから、どうやっておれたちは食いに行ったらいいのだ。いずれ日本に帰って決着をつけねばならないが、こういう事で、いたずらに虚しい渇望と、「アメリカまで来てソバの話なんかするな」と言いたげな天草のクールな横顔を残して、ソバの話はこれきりとなったのだった。
 セントルイスのあまりきれいでない中華屋のビュッフェ昼食を食って、ま、虚しいながらヤキソバやチャーハンの香りをかぎ、元気になったつもりでカンザスシティへと出発する。再びカンカン照りの日の午後二時三十分だ。
 西部への入口の街セントルイスから西部へと入って行ったわけで、当然すぐに向こうの山にノロシが上がり、こちらの崖からジェロニモが走り出て、トマホークと毒矢がアメアラレと降りそそぐ、と思うだろうが、そういう事は無かった。どころか、山も崖も無く、五時間の間見えるのは唯ただ畠畠畠だ。
 そのまま走ると西海岸のロスアンゼルスあたりに飛び出す筈のそのルート70はたいして混んではいなかった。抜いたり抜かれたりする車のナンバープレートの州の名前からドライバーの生活背景を読みとるという技を天草が披露する。休暇、仕事、引越し、一家離散、中にはさっきからずっとバカでかいトレーラーに追いかけられている男もいるし、仕事を探している女子プロレスのダッグチームらしいのも走っているし、札束を数えながらマシンガンをブッぱなして素っ飛んで行く奴らもいる。変わったのでは、「ミチト/ソーグー、ミチト/ソーグー」とうわ言をいいながら思いつめた顔で走り去る奴や、ニトログリセリンを一杯つめたタンクローリーをワルツに合わせて蛇行させるキチガイ男などもいたが、こいつはどうやら国を間違えているようだ。
 景色にも車にも飽き、テディ鴻上と暇つぶしの話をする。
 テディは先頃「パリ・テキサス」という映画を見たが、これがちっとも面白くなかった、ということ約三十八分二十五秒にわたって力説した。やがて、自分が撮ったらあんなものではないという野望が垣間見えてきた。
 「どういうストーリーがいいかなあ」
 「小細工は駄目だ。真っ向勝負の正攻法でいってもらいたいねえ」
 その場限りの無責任な発言をしてしまった。
 「ほうほう、たとえば?」再び蜜蜂の巣を見つけたテディベアの上目づかいとなる。
 「もう徹底的な『純愛物』をやってくれ」とっさにデタラメを口走ってフォローした。
 「ほうほうほう、どういうことになるんですか」
 「だから、昔からある大マンネリをベースにすりゃあいいのよ」
 「ほうほうほう」
 乗せられてしまったら、デタラメを喋り続けるしかない、というのが、ツキデロヘロスの第三法則だ。
 「男と女、まあ少年と少女が出会って、一目で恋し合う。そのまま別れ別れになる。会おうとして、ありとあらゆることをやる」
 「ほうほうほうほうほうほうほうほう」
 「何しろ、ありとあらゆることだからね、どんなストーリーにでもなる。シリアス、ドタバタ、SF、ミュージカル、ハードボイルド、ミステリー、スパイ、原発、狼男、ゾンビ、時代劇、なんでも出来る」
 たいした新説でもないのにテディは、相変わらず、「ほうほうほう」と言いながら、興味深げな様子で聞き続ける。ま、「天才」というものは人の当たり前の会話から百倍奥深い真実をつかみ取る、というのがハツレバミノキュロスの第二法則にもあるからこれでいいわけだが。
 「映画が始まって一度出会ったら、あとはもう絶対に会えない」
 何だこりゃ、「君の名は」ではないかと気づいたが、それらもすべてお見通しの上、さらにその百倍深い真実をつかみ取っているテディ鴻上は、凡人には測り知れぬ戯作の深淵に身を沈めつつ、「ほうほうほうほうほう」と謎の掛け声を発するばかりだ。
 「ほうほうほう、とすると、最初はどんな風に」
 「んなもなあ、あんた、会わせてしまえばいいのよ」
 「ほうほう」
 「雑踏の中。駅のホーム。劇場。野球場」
 「野球場ですかあ」
 「いけねえかよ。おれ、時どき行くんだぜ、横浜球場。山下大輔っていう一字違いの選手が気になるし、今年の大洋はあんた、大変だよ。ひょっとするとひょっとするかも知れない近藤魔術だよ。三原魔術の再現だ。魔術球団なんだよあそこは。魔法を使わねえと勝てないというインドアラビア野球なんだ」
 「ほうほう、と言いたいところだけど、ちょっと待って下さいよ。その話は一九八六年六月の頃のことでしょう。もっと詳しく言えば、この原稿を書く為に身の程知らずにも大高級ホテルにカンズメとなって、しかもズルケてテレビを見ていたら、桑田が初完投勝利、横浜では大洋が大門の好投で首位広島を二連勝し、二位に並ぶ大洋、巨人と広島との差を四ゲームとつめてセリーグの緊張の火をかろうじてともし続けた、あの六月五日のことではないですか。いくらSF好きでもそういう勝手をしちゃあいけませんよ」
 「何を言うか、この手法を最初にこの旅関係で使ったのは、あんたじゃないか。えっ、某『野性時代』七月号で、磯プロがこのような浪費旅を行なって帰ったにもかかわらず、キティの出版部長になったという噂もあるが、そんな事はどうでもいい。とにかく、この事をまだおれたちがニューオリンズに居る間に時空連続体の因果関係における古典物理学の法則を平気で無視して書いてしまったじゃねえか。え、どうなんだ」
 「わー、えらい長ゼリフだなあ。慣れない事をして大丈夫ですか、ヨースケさん」
 「ゲホゲホゲホ、いやすっかりむせてしまった。ま、それはそれとして」
 「純愛、いいですねえ。それ、やりましょう」
 「駅のホームの向こうとこっちで目と目が合ったとたんに狂っちゃうってのはどうだ」
 「それで、電車が来て右と左に泣き分かれ、と」
 「ズボンのオナラか、崇徳院」
 「え」
 「いや、こっちのこと。それでとにかく何がなんでも一目ぼれだから、その瞬間回りは真っ暗にして、二人にライトを当てちゃえ」
 と、これは「ウエストサイド物語」だが、まあそんな具合に、バンドマンのデタラメ話に劇作家が一体何を見出したのか定かに分からぬままに、車はカンザスめざして真っしぐらに走って行くのだった。

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