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・アメリカ乱入事始め/山下洋輔著 第五章

第五章 シカゴ篇

第一夜は無事に終了

 八月二十四日、車を空港へとばし、シカゴへ向かう。搭乗前の手荷物検査の所に、注意書きがあって、それには、「ここで冗談を言っても冗談ととられないことがあるから注意するように」ということが書いてあった。以前にそういう話を聞いていたので理解できたわけだが、つまり、「お嬢さん、実はぼくはパンツの下にダイナマイトとニトログリセリンと毒ヘビと毒ピストルを持っているから、入念に調べてくれませんか。さもないと、ハイジャックしちゃうから。ヒヒヒヒヒヒ」などとふざける馬鹿者があとを絶たないために、こういう者共は即座にその場で逮捕してしまうという方針が打ち立てられた、ということなのだ。
 まあ、手荷物検査の所で何かやりたい気持ちは分かるわけで、係官の中にはいい気になってバッグの中の私物全部調べ回す奴がいる。特に羽田空港の下の方の入口にいる目の吊り上がったヒステリー女がひどい。憎にくしげな態度で何から何までぶちまけ、こちとら秘蔵の漢方精力剤イモリトカゲハマグリ入り、を手に持ってしげしげと眺めたりしやがる。その汚い手をどけろというのだ。
 別の所ではマジにえらい目に会った。ペーパーナイフがわりに使っていたナイフがヨーローッパ製飛び出し機構を有しているのを見て、別送りの処置を取らずオマワリを呼んだ奴がいたのだ。オマワリは馬鹿法律をたてに、今すぐ放棄しなければ、銃刀法違反で牢屋に入れる、とおどかす。腰の拳銃に手をかけんばかりで、ナイフは没収、身柄は別室に連れて行かれて、取り調べられた。その間、飛行機を遅らせたままだ。以後、自動的に、犯罪者となる処置がとられ、気がつくと略式裁判というものにかけられて罰金を払えと言われた。払えなければ一日いくらの割合で牢屋に入れるのだそうだ。結局、自分が前科者になったのかどうか分からぬままに大変アタマに来た時間を過ごしたわけだが、同行した同業者たちに言わせると、「そういう物を持って旅をする奴が悪い。きっと見せびらかそうと思ったのだろう」ということになる。「見せびらかし」「護身用」「ペーパーナイフ」説のうちだったら、やはり、これは供述書通り「ペーパーナイフ」説をとるしかない。
 「あれがないと、原稿が書けないのです」
 「なんで、演奏旅行先まで行って原稿を書かなければならんのかね」
 「それはその」
 といって三日三晩考え込み、やはりこれは牢屋に入った方がよい、という結論になったりして、こういうツジツマは一体どうなっているのだ。
 ま、そんなこんなで、手荷物検査係には復讐をしなければならないわけだが、陰険女にはわざとイヤラシイ電動器具などをバッグに入れておいて開けさせたらとうだという説が出た。電動器具は、偽物かどうか調べる為に必ず「動かしてみて下さい」などと言うから、ここを先途と動かしまくってハズカシメてやる。と思ったが、奴らはこの位のことでハズカシがるようなタマではないというのも確かで、今のところ復讐の方法が見つからんのよ。
 ま、それはそうと、ここにわざわざこのような冗談禁止令が出ているのは、変なことをいう奴が非常に多く、いちいちつかまえて二度とやらないように嚇かすのも間に合わなくなってきたからにちがいない。
シカゴに飛び、レンタカーで市内ホテルへ。
 磯プロメモによると、ここで「洋輔氏二度目のダウン」となっているが、つまり、夜十時の乱入タイムまで部屋でくたばっていたということだ。が、実際は、映画で見たとおりの高架線が走るシカゴの街を少し歩き、リカーショップでウォッカとビールとハムとサラダとピクルスを手に入れて帰り、テレビを見ながら一人宴会をやっていたのだ。テレビでは大リーグの野球と、別のチャンネルのリトルリーグの決勝らしいものを両方同時に見た。前者はエンゼルス対タイガース。後者は韓国対メキシコ。レジー・ジャクソンが二塁ゴロを打って全力で走り、アウトになるとまた全力で走って帰って来る。これに韓国の少年がタッチし、何を勘違いしたかボールを地面に叩きつけている間にチェット・レモンがホームイン。ブロックしたメキシコの少年ははね飛ばされてミシガン湖に墜落。これをきっかけに四チーム入り乱れての乱闘となり、飛びかう言葉も、ヨギメン、パンチョゲネン、ハッソゲネン、アスタマニャーナ、ガッデム、シット、ファック、サックマイアスニゲン、ゴスミダ。などとわけが分からなくなりつつのダウンだったのだ。
 夜十時にジャズクラブ「アンディーズ」にテナーのヴォーン・フリーマンを聴きに行く。テナーの若手チコ・フリーマンの親父さんだ。
 ローソクのともるテーブルが沢山ありカップルも多い。スローバラードを吹きながら、ヴォンはテーブルからテーブルへと回りカップル目がけてロングトーンを吹きかける。二人がウットリとなってキスをするまでやめない。絶対にしなかったのが一組。吹きかける前からしていたのが一組。大抵は結構ナイーヴに恥ずかしがりつつ、意を決したように行う。周りの奴らがはやしたてる。これが一晩に一度あるこのバンドの名物サービスかも知れなかった。つまりキスをしたい、あるいはされたい相手をこの店に誘えば、チャンスがあるというわけだが、今時そんな悠長なことする奴はいねえか。いや、いるか、どっちなんだ。どうもこの国と限らず、二人連れのクーキャ(客)の料簡てものが今いち分からねえ、などと言いつつスペアリブにかぶりついていると、名前を呼ばれてしまった。
 ナプキンでベトベトの指をふきながら立ち上がり、出て行く。若そうな黒人ピアノ青年とかわる。「ナウ・ザ・タイム」をやる。ドラムがベテラン黒人でベースは若い白人だった。終わると客もバンマスもヤアヤアと騒いでくれる。席に戻るとバンドは「チュニジアの夜」を始め、ヴォンのソロはフリーすれすれのところまで行ってしまった。カップル用のバラードからこの演奏まで、大きな振幅の中で日夜ジャズの現場が営まれているのだ。そこを悠々と生き抜いてきたプロの姿がはっきりと見えるようだった。
 休憩時間にベーシストと、ナンシー・ウィルソンの若い頃のような顔をした歌姫がやって来てサインをくれという。
 次のセットにまた呼ばれた。一曲終わると、二曲目はトリオでやれと言って、ヴォンはピアノに寄りかかって見ている。「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラヴ」をやる。途中心ゆくまで勝手になる。理不尽なイカリはなく、金属バットつき文句あっか的態度でもない。こうしたいからこうする。そちらで出来たものかも知れないが、あたしゃあこれをこのようにしてしまいました、というアキラメの境地に達したのかもしれない。
 終わると大きな拍手だった。いつまでも止まず、ヴォンは興奮気味に、肩を抱いて、客のほうに向かせてくれた。立って拍手している奴もいる。
 「どうだ、何かアンディーの店に言うことは」
 「ワタシノオンガクガウケイレラレテタイヘンウレシイ、アリガトウ」
 ダドタドしく答えた。後で天草に聞いたら、こういう時はただただ、「ビューティフル、ビューティフル」と答えておけばよいのだそうだ。
 ともあれ、こちとらは初めてデヴューした少年のような気持ちになっている。映画の一シーンのようだとも思う。エフジュウ(四十)越した男がこういうことではいかんのは分かっているが、どうしてもこうなる。成熟不可能なのかもしれない。後にニューヨークの演奏の後で、おれの年齢を知ったベニー・ウォーレスは、「それは誰にも言うな」と半分本気で繰り返した。デビューには遅すぎる年だと言っているのだろうか。
 やがて、バーに移って飲み、やって来た歌姫と一緒に写真を撮ったりして、シカゴの第一夜は無事に終了したのだった。

トラブル男ベニー・ウォーレスと再会

翌八月二十五日は、十二時に起きてフォトセッション大会。北さん、テディ鴻上との三人旅だ。朝飯のつもりではいったカフェテリアで衝撃的に、「スペアリブ」などと口走って山のようなものを押しつけられた。親指位のものをちょいと齧りたかったのだが、そうはいかん国なのよね。悪かった。それでも口と手をべたべたにしながら、一本は骨までしゃぶった。
 北鴻両名は、それぞれ適切な物を手に入れて食べている。鴻は相変わらずメロンを食いまくり、相変わらず「なにようこれは。まずいまずい」と言いっぱなしだ。そんなにまずいならよしゃあいいと思うのだが、天才の粘着探究的次は絶対あたる的絶望的楽観精神は測りがたい。
 北さんも相変わらずの菜食禁酒の生活だが、禁煙パイポ姿もりりしく、笑ったらただじゃおかないぞ的緊張をその長州力状の姿に漂わせつつ写真を撮りまくっている。
 映画「ベニー・グッドマン物語」の最初のシーンに出てくるようなレンガづくりのビルに挟まれた路地に入ったり、高架線(ループというらしい)の下の車道、つまり、「ブルース・ブラザース」のラストシーンで兄弟がぶっ飛ばし、パトカーがぶつかりまくったその道の真ん中に、赤信号の間に走り出ては、写真を撮る。
 やがて当然、クライマックスの目茶目茶大騒動の起きる広場へ行こうということになった。確か、ピカソの彫刻のある広場だった。が、このセリフが映画の中で言われた時に何となくギャグっぽかったので、あるいは違うものをピカソと間違えたという設定ではないかという瞬間があり、これを二人に言うと、「それならモジリアニの広場にもある」と北さんが言い出した。「じゃあ、それと間違えたギャグなのかなあ」と言いつつ、誰も定かなことがわからぬまま外国の街をあるき回るというパターンになりかけた。が、丁度やって来た男をつかまえて二人がどんどん聞き、結局、「ブルース・ブラザース」が決めてとなって、広場の方向が差し出された。
 行って見ると彫刻はやはり「ピカソ」で、となるとあの場面がギャグっぽかったのは、単に下層の者共が、もっともらしく「ピカソ」などと言うというだけのことだったのか、例によってそれ以上は分からぬまま、その作品をなでたり、それに寄りかかったりしつつ、ラストシーンにSWATがよじ登ったビルのカベなどを眺める。
 そのあたりが中心街で、ゴチャゴチャし、何となく臭いも懐かしく、これはつまり大都会の臭いであって、いつの間にか天草流田舎駄目都会いい思想が当然のことのように漂っているのだった。
 帰りはループに乗ろうと北さんが言い、高架線のホームに上がる。板張りのあぶなっかしいホームだった。乗り込んで何だかんだ話しているうちに、降りる駅を過ぎ、電車はどんどんと郊外へ出て行く。次の駅までの間隔がえらく長く、いつまでたっても止まらない。両側の景色がたちまち荒涼としたものになっていく。一面の荒地に、車のスクラップ場、使われていない工場、倉庫、崩れかけた古い建物、が散らばっているのだ。
 二人で顔を見合わせつつ運ばれ、ようやく止まった次の駅のホームに飛び降りると、眼下に異様な光景が展開していた。
 荒地の真ん中に、極彩色の中国建築物が立ち並び、無慮ゴマンの黄色人が「ターチャイ、スーシー、カイカイライライシェーシェー」などと叫びながら走り回っているのだ。
 何も無い所に、一大中華街が建設され出現しようとしているのだった。中心には偉容を誇る中華門が立っている。他もすべて典型的中華街の姿を現しつつある。どこへいってもきっぱりと自分たちのやり方で押し切っている。ポンニチが対抗するとしたら、お城とお堀と天守閣にシャチホコをつけて、城下町一式全部持って来るしかない。
 ホテルに帰りつき、部屋で昼寝をしていると電話で起こされた。今日一緒にやるベニー・ウォーレスからで、ナッシュビル空港にいるが、飛行機が遅れる。ぎりぎりだと思うから空港に迎えをよこしてくれ、ということだった。この男とは「トラブル」なしには共演出来ないようだ。この辺りのいきさつは、一年後に「ブルーノート・ジャズ・フェス」で来日するベニーの紹介文として書くことになる。時空間がやや乱れ、これから起きるとことも分かってしまうというタイムマシン現象だが、簡便を期して、そちらをお見せしたい。
ベニー・ウォーレスと初めて会ったのは、ヨーロッパでだった。一九七九年のことだ。
 西独のミュンスターという街で毎年あるジャズ・フェスティヴァルに、こちらは、坂田明(アルトサックス)、小山彰太(ドラムス)のトリオで参加し、ベニーは、ベース、ドラムス、自身のテナーサックスというやはりトリオで来ていた。ところが、ここでアクシデントが起き、演奏直前に、ドラム奏者が出演不可能になってしまった。ベニーは、ブッキング・エージェントのミュンヘンのエンヤレコードに電話して、相談したところ、ヤマシタトリオのショータ・コヤマに頼んでみろ、というアドヴァイスだった。我々の方は、一九七四年以来、エンヤがブッキングしている。
 主催者を通して依頼があり、事前に彰太はその心づもりをしていた。ぼくと坂田は自分たちの出番が終わったあと、気楽になって盛大に飲み食いしていた。するとそこへ、ほとんど半狂乱になった主催者がやって来て、「ベニーのところのベースも出られなくなりました。ピアノもお願いできないか」というのだ。
 ベニーの名前も音もその年にすでにエンヤのオフィスで聴いていた。凄い奴だ、と少々ぶっ飛んでいたから、否応はない。酒を飲んでしまったのは仕方がないが、んなもなあ、この期に及んでの一発勝負だ。構うものかってんで、彰太と二人、ハプニング的助っ人に立ったのだ。
 結果、これが、手めえで言うのもなんだが、「大当たり」となった。客に大受けに受けたというのもそうだが、互いに全力で出し合った音の手応えこそ「当り」だったのだ。お互いに、何十年分のことを話しあったような気持ちであり、この夜以来、ベニーとは何か特別な冒険をわかち合った親友同士、というような間柄になったようだ。
 以後、方々で顔を合わせ、またやろう、やろうやろう、と言いながら六年たってしまった。レコーディングにも誘われたが、こちらの準備ができていなかったりして、音を出し合ったことはなかった。
 再会セッションがようやくできたのは、去年(一九八五年)シカゴだった。アメリカ乱入一人旅、というものをやっていて、シカゴでは好きなメンバーでセッションができることになった。そこで、ドラムに、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのドン・モイエ、テナー・サックスにベニー・ウォーレスと決めたのだ。これが、六年ぶりにやる二度目の顔合わせなのだが、良いセッションになることについては何の心配もなかった。モイエとベニーは初対面だが、絶対にお互いが認めあう筈だった。事実その通りになったのだが、もう一つ、「やはり」起きた事があって、つまり、ここでも「アクシデント」が生じたのだ。
 ナッシュビルから来る筈のベニーの飛行機が遅れるというのだった。開演に間に合わず、モイエが紹介してくれといたベースのトミー・ハーパーとトリオで始めていた。(正確には、ぼくはソロを一曲やってコンサートをオープンした)。
 ワンセット目の最後に「リズマニング」をやって、ピアノソロが終わり、さあ、ベースソロかドラムスとのチェイスか、と思った瞬間、すぐ耳元で、ベニーの豪快な音が響き渡った。
 夢中で気がつかなかったのだが、いつの間にか駆けつけてきていたのだ、空港まで迎えに行ったものの話だと、タクシーに乗るやいなや、楽器を取り出して吹き出し、そのまま会場のレコード店に横づけし、「荷物は頼む」と言って、吹きながら店の中に走り込んで行ったという。
 これが六年ぶり二度目というわけだが、どうもなんらかの「アクシデント」なしにはこの男とのセッションは始まらないというジンクスができてしまいそうだ。
 アクシデントといえば、ベニーがソニー・ロリンズと知り合ったきっかけもそのようなものだったと話していた。一九七二年にニューヨークに出て来たベニーはヴィレッジ・ヴァンガードにロリンズを聴きに行った。終わって友達が紹介してくれた。するとロリンズが、「ああ、お前のことは知っている」という。しかし、その筈はなかった。まだレコード一枚出していないのだ。電話番号を交換し、ある日「遊びに来ないか」とロリンズ。「行けません。今日、ぼくのコンサートがある」「じゃあ、そこにおれが行こう」ってんで、その小さなロフトに本当にロリンズが聴きに来てしまった。いや皆驚いたのなんの。オレオ、オレオと叫んでそこらを走り回る奴もいたというが、ま、この辺はサダカではない。
 確かなのは、ベニーが「あれが、アガって吹いた最後の晩だった」と言ったのと、ロリンズが大変気に入って、レコーディングの実現の為に色々なアドヴァイスを奥さん共々してくれたということだ。ベニーのアイドルはずうっとロリンズだったからそれは凄いことだったと思う。
 「ぼくが特に、というわけではない。ロリンズは誰にでも手を貸す人だ」と謙虚だが、ベニーの実力、人柄、意欲、姿勢には、必ず人を打つものがある。
 シカゴのあとニューヨークで再会し、すぐにベニーのアパートで音を出し合った。別の日にはベース、ドラムと一緒に練習をした。六年前に、一時間程しか音を出し合ったことのない男と、ずうっと信頼し合って過ごしてきた、という妙な感慨がある。これも、最初の出会いの「絶体絶命状態」を、一緒に切り抜けた、という「相棒意識」からかもしれない。
 というわけで、今回のフェスティヴァルでも、「共演」が実現するかもしれない。だた、我々が一緒にやる時は必ず、「アクシデント」が起きるという今までの例が、山中湖でどうなるかは心配だ。多分、富士山が爆発するかもしれないが、ま、何が起きようと、演奏が出来さえすれば、その結果には自信がある、と、これはベニーになり代わってイバらせていただきたい。

決戦前のバトルロイヤル

 などとほざくことになるとはこの時はまだ知らず、夕方、会場の「レコードマート」に向かう。レコード売り場の一画がスペースでアップライトピアノが置いてある。
 明日のニューヨークでのソロ・コンサートのヴィデオ・コーディネーター、塚本さんが来てくれていた。旅の最初の日、今となってはこう一億三千年前、に会った人の顔を見て、ようやくこの旅が、昨日今日明日明後日の四レンチャンをよじ登って終わりを告げるのだ、という実感が湧いてくる。
 やがて、ドン・モイエがやって来た。アート・アンサンブル・オブ・シカゴのメンバーで、一九七九年にレコーディングを一緒にした。また、この時のニューポート・ニューヨーク・ジャズ・フェスでは、ワールド・サキソフォン・カルテット、坂田明、小山彰太、とのトリオ、アート・アンサンブル・オブ・シカゴの三グループが、同じ場所で一晩二公演ずつを行った。セントルイスのブルース男、トム・レイが見たのもこれだ。
 一九七四年のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ日本公演の時には、森山威男、坂田明とのトリオでジョイントをやったりしている。ヨーロッパでも方々ですれ違うなど、色々と因縁があるのだ。
 モイエはシカゴにいたのではなくワシントンから飛んできたという事情などがからみ、磯プロと長い協議が続いた。しかし、コーディネイターのアキ生田は空港にベニーを迎えに行っており、スムーズにはいかない。カンザスの金銭トラブルのことが思い出されたが、モイエはセッティングはすべて整えて、やる体勢となっていた。
 「ビジネス話は、終わったのか」
 「いや、まだだ。アキと話さないとわからない」
 といいつつも、時間が来れば音は出す、という構えだった。モイエは弁護士の資格も有しているというインテリだ。
 時間になり、店関係の若者がMCをやり、まずおれが出て行って「仙波山」をソロで弾いた。
 それから二人と一緒にまったく何も決めないフリーな演奏をやり、次に「マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ」をやった。このあたりでベニーはタクシーの中で吹きはじめていたのだ。モンクの「リズマニング」をやり、まるで救援隊のようなタイミングでベニーが躍り込んで来たことは前述の通りだ。
 アクシデントが思いがけない方法で次つぎに乗り越えられていく、というのもジャズの演奏の大事な様相かもしれない。
 とにかくこうして、四人は揃い、ツーセット目も出会いがしらの火花を散らして、コンサートは終わった。
「今までのと全然違うじゃないですか。こういう事があるなら、今までやってきたあれは何ですか」
 という、かなり興奮した鴻上目撃人の感想があった。
 塚本さんの推薦で、一同「ハウス・オブ・フーナン」という中華屋に揃う。ここは全員一致で非常なる美味と認定され、菜食主義者となっていたベニーは、野菜類と、その他に何かわけの分からないものを注文した。出て来たものは、材料が植物でありながら、形状、味共にアヒルの肉そっくりというものだった。食わせてもらったが、大変美味だった。ただし、アヒルよりは高価につくらしい。ちゃんとやろうとすると菜食主義の方がたかくつく、とベニーは言う。
 モイエも陽気で、ニューヨークのコンサートの時のことを話す。
 「あのときは、ヤマシタはこれもんで、アート・アンサンブルはこれもんだったな」
 両方のこぶしを握って上げたり下げたりしてふざける。おれたちはギンギン以外に道がなかったが、そのあとの例によってコスチュームをつけたアート・アンサンブルの演奏はシブメで一貫していたのだ。
 「ダイナモはどうしている」ときく。坂田のことを皆でそう呼んで受けているらしい。「大元気で、活躍しているよ」と答える。
 モイエは皆にアート・アンサンブルのワッペンをプレゼントしてくれた。
 ホテルに戻り、寝ようとしたが駄目で、磯プロの部屋で連日開催されているバクチ大会を見学することにした。
 「キャッツアイ」と称するバクチは、実に目まぐるしく、他人の不注意につけ込み、あまつさえそれをあざ笑いつつ地獄に蹴落とすという言語道断のものだった。バクチには自信のありそうな塚さんだったが、旅の間中やっている磯北鴻天草四人組と初めてやるのではやはり不利だったのだろう、コテンコテンに負けてしまった。乗りまくっていたのがテディ鴻上で、ひっきちなしに喋りまくり、よいめぐりあわせになるたびに、「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ」と支那の老師が気が狂ったような叫び声を立てるものだから、まわりの奴はたまったもんじゃない。混乱につけこんで、まんまと四連チャンしてしまった。
 北さんは、禁煙パイポをがりがりと噛みくだく形相も物凄く、敵はただ一人鴻上と決め手奮戦するが、カードと鴻上の口との両方に対抗しなければならず、苦戦の模様だった。
 磯プロは両者の戦いを楽しみつつ時どき挑発的言語をはさみ、おおむねは両目と口を横に開いてデヘデヘデへと喜んでいる。
 天草は、切れ長の目を異様に光らせつつ、クールとは言えぬ態度でのめり込んでいる。
 リチャード・オコンは今朝早くニューヨークに帰っていてここにはいない。
 一人一人が自分の分野の自信を持ち、追求している人間であることが、バクチをしている姿に映っているようだった。一つ一つの言葉のやりとりが、最先端の面白い芝居のセリフのように響く。笑い転げつつ、とんでもなく素晴らしいチームと旅をしてきたことが分り、一瞬何もかもが嬉しくなった。ビールを飲みながらいつまでも眺めていた。
 「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ」という狂乱老師の笑い声が響き続け、シカゴの最後の夜はいつまでたっても終わらないようだった。
 翌、八月二十六日、十二時半から、四時まで、なぜかルーズベルト大学の音楽科のレッスンルームに忍び込んで練習をする。昨日、聴きに来てくれていたここに学ぶ一日本女子学生様のご好意だ。やりつけぬレコーディング用曲目を練習させようとの磯プロのはからいだった。
 六時、空港のレストランに座って飯を食っている最中、いきなり鴻上が立ち上がり、
 「あ、これおいしい。どうしたのよ、これ。おいしいおいしい」と叫んだ。ようやく夢に見たメロンに出会ったらしい。あるいは、支那のキチガイ老師となっているうちに本当にアタマと舌がどうにかなってしまったのか。おれたちとて、最早、長旅最後の白痴頭。皆でぼんやりと鴻上を見つめるだけだった。
 鴻上は、「おいしいおいしいおいしい」と百三十五回わめきながら走り回り、レストランの窓ガラスに激突して壊し、そのまま滑走路に走り出て、そこに置いてあった超能力スーパー戦闘機ファイヤー・フォックスに飛び乗るやいなや、「ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ、ふぉ」、という笑い声と共に飛び上がって、そのまま一足先にニューヨークに行ってしまった。勝手な奴だ。
 残りの者は、仕方なく、TWAー0082便を利用してあとを追う。

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