預言者
文・あかいししょーこ
混沌とした現実を打ち破るかのように聞こえて来る「こえ」があります。
その「こえ」をお届けします。
16.10.14(金)
天命を完(まっとう)うするとは〜その3


修行は終わりました。
あなた自身が主役になる時がきました。
方法はなんでも良いのです。


というメッセージを或る方からいただいたのは6月のことでした。


メッセージは他にもいくつかあったのですが、中でも特に印象的だったのが「なんで私が?と思わないように」というものでした。


私は主役になるタイプの人間ではありません。


そのことを自覚したのは小学校の6年生の時でした。


私が通った小学校の校庭にはスタンドがあり、毎週月曜日に行われる朝礼では週番がそのスタンドに立って、全校生徒の前で「今週の目標」を言うのが決まりでした。


週番は6年生の学級委員が各クラスから交代で務めます。


大して頭も良くないのに学級委員にに選ばれていた私にも週番が回ってくることになったのですが、どう考えてもスタンドに立つのは絶対に嫌です。


そうかと言って誰かに代わってもらうことはできません。


残る方法はといえば月曜日の朝に雨が降ることです。そうすれば「今週の目標」は放送室のマイクの前で言えば良いことになります。


スタンドに立った記憶がありませんので、雨になってほしいという私の願いは聞き届けられたのでしょう。


そんな私が主役ですか!?


私が長年生業として携わってきた仕事といえば雑誌や単行本の編集であり、イベントの企画やブログ&フライヤーの文案及び執筆といった縁の下の力持ち然としたスタッフ路線です。


主役になるのが嫌で結婚式だってあげなかったくらいの主役願望皆無の私が「主役」としてできることといえば、すぐに思いつくのは「書く」ことです。


そして、私に備わった独自な何かがあるとすれば、それは他人と違うことを恐れずに良しとするところでしょうか。


流行っているとか人気があるとかに関係なく、自分が良いと思えば率先してそれを取り入れる。


近年で言えば「うさとの服」のムササビという服があります。


今では随分たくさんの人が着るようになりましたが、私が「うさと」を着用し始めた2005年の夏に女性でムササビを着ている人は周囲には誰もいませんでした。


「うさと」自体今ほど知られていなかった時代ですが、この服の良さを知った私は、これまでに50枚近いムササビを購入していると思いいます。


以前からジョッパーズやターキッシュパンツを愛用していたた私にとってムササビは馴染みやすい服でしたが、モンペやハカマによく似た独特なデザインですので、「変な服」と思われた方も多いようでした。


自分で着るのみならず、これいいですよと、ずいぶんたくさんの方に「うさとの服」を差し上げましたが、余裕があったのですね、あの頃は。


仕事に関して言えば、音楽業界誌で働いていた時代、まだ「商品」として確立していなかった「日本のフォーク&ロック(ニュー・ミュージック)」に可能性を感じて、ブレイクする前の吉田拓郎大瀧詠一を取材して誌面に取り上げていましたが、そういう志向は現在の仕事にも反映しているように思います。


しかしながらこれはもう天の計らいとしか思えないのですが、私たちが「天命」への道を歩んでいる時、そこには尋常では考えられない大きな力が働いているような気がしてならないのです。


クリスタルボウルなんて誰も知らなかった30年も前に、家には10インチの白いボウルがありました。


まだ日本にそうたくさんはなかった頃で、正式な鳴らし方なんか知りませんでしたが、響きが気に入り、家を建てた記念にと購入したこのボウルが縁となり、10数年後に牧野持侑さんのCD制作やコンサートの主催に結びついていくのですが、そこに至るには1985年から始めた食養生を抜きには到達できなかったでしょう。


これはもう30年という時が流れたからこそ紐解ける話ですが、人生は全て「因」と「縁」で成り立っていることが実によくわかります。


以下、年を追って整理してみます。


1985年夏
磯田の仕事仲間から「塩、味噌、醤油」をいただき、それがあまりにも素晴らしかったので、当時は「正食」と呼ばれていた玄米菜食を夫婦で実践する。

私たちが足繁く通っていた、家から歩いて40分ほどの距離にある正食の殿堂「オーサワ・ジャパン」で牧野さんは4年間働いていた。

後に牧野さんはマクロビオティックの商品開発のために渡米。カリフォルニアでクリスタルボウルに出会う。


1988年夏
家を建てた記念に磯田がクリスタルボウルを入手。


2004年夏
調味料を送ってくれた友人のマクロ仲間、佐藤蓬さんが青山で牧野さんのライブを主催。クリスタルボウルの「演奏」を初体験する。


2005年夏
磯田秀人のプロデュースによる牧野さんのCD「倍音浴」を制作。


2005年の夏は、前述した「うさとの服」に私が巡り合った季節でもあります。


「倍音浴」をレコーディングしていた2005年の春に、牧野さんからシャスタという言葉を聞いた瞬間「そこへ行かなくては」という想いにかられ、七夕をシャスタで過ごした私がふとしたことから「うさとの服」を知り、服を買うようになって3回目。


「うさと」のデザイナーさとううさぶろうさんとお会いする機会があり「なにやってんの?」と聞かれて牧野さんのことを話すと


「じゅんちゃん、知ってるよ」


お二人は10年ほど前からの知り合いあいなのだそうです。


私たちが「天命」を順調に歩んでいる時にはそういった不思議なサインが幾つも幾つも目の前に現れてくる。


私にはそう思えてならないのです。


050806.jpg
うさぶろうさんと初めてお会いした2005年8月6日。

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