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島田荘司さんのクリスタルボウル体験記。


昨日は増上寺・光摂殿にて、牧野持侑さん奏でるアルケミー・クリスタルボウルによる「超! 倍音浴」を体験。頭が久々にクリアになり、横になった畳の上で倍音を浴びていると、思索が突進して縦横に上空を巡り、午後1時半から日暮れ時まで、1部2部を通して長々会場にいたのだが、終わったら、まだ足りないぞ、思索が途中だ、と不平を言いたいような気分になった。
 考えた内容まではとてもここには記しきれないが、頻繁に浴びていたら、まだまだアイデアは豊富に出てきそうな、そんな好ましい感覚だった。血行が良くなり、人によっては病んだ箇所が痛みを発してのち、癒される効果もあるという。
 音源はどんなものかと言うと、クリスタルを高温で溶かして型に流し込んだボウルを、打ったり摩擦したりして純粋な倍音をたて、これが50個もあるものだから、重なって響き合い、長々と尾を引きながらモアレのようにうねったり、時に天使たちの歌う厚いハーモニーのように、圧倒的な重迫力でこちらに迫ってきたりする。
 倍音浴というから、まったく未知の音体験かと思ったら、過去にどこかで聴いた覚えのある、懐かしい音響を思い出させた。例えばそれは冨田勲だ。昔NHKで「勝海舟」の大河ドラマがあって、この随所に、メロディーにはよらず、ただ残響のような「音」で、ドラマを助ける箇所があった。
 波打ち際、遥か黒船の国から届いてくる遠い潮騒に似た音、これに唸る潮風がからんで、長々と尾を引いて容易に消えない。それが広大な海原と、日本の未曾有の国難、しかし胸を騒がせる世界への船出の予兆、そんな様々を象徴して、あれもまた倍音的世界であった。才能のある冨田氏は、すでにこういう音を探り当て、メロディに倍するその魅力を、聴き当てていたのであろう。
 つまりはこちらが音楽と思っていたものも、実のところその半分は、楽器群の残す、あるいは重ねて長く響かせてくる、倍音的な残響の重奏だったのだと気づく。これを聴き、身をゆだねるために、ぼくらはメロディという導入を必要とするのかもしれない。
 文学にも行間の空気というものがあり、文章が伝える限られた展開説明に、数倍する時の気配というものが、布団綿の中の空気のように存在して、世界を膨らませている。この空気は、時を経て甘さを増す。
 あれもまた、倍音と呼んでもよい何ものか、かもしれない。交響曲同様、小説にもまた「それ」を鳴らす境地というものがある。俳優もきっとそうであろう、演技の周囲で鳴る空気の倍音奏は、これはもう技術ではなく、己れを虚しうする人生観の高次の達成、その深い共振動力に相違ない。
 不思議な体験があり、演奏が始まってしばらくしたら、上空のトタン屋根を打つ、大粒の雨のようなバチバチという音が広間に響いた。これはなんだろう、自分の空耳かと疑って牧野氏に尋ねてみると、あれはラップ音で、演奏中しばしば鳴るという。しかしそのメカニズムはよく解らない、自分は天使の声と思っていると言う。*後略

(1月22日投稿のfacebookより転載)