万歩計日和
文/写真・mizugame
今日の写真
やっとお昼寝の場所が帰ってきたわ。ママ、ありがとう!
03.07.06(日)
身の引き締まるような演奏(4,463歩)

締切ぎりぎりまで、会報編集に手を付けなかったたたりかな。

金子管理人の使っているiBookの調子が急に悪くなった、と、思っていたら、ハード・ディスクが妙なノイズを出し始め、ついに、夜中に起動しなくなってしまった。

丸3年酷使していたから、そろそろかなとは思っていたけれど、やっぱりね。

これで、明日会報の入稿は出来なくなった。

とは言え、やることは沢山あるので、まずは、「デュオ&トリオ・インプロヴィゼーション/デレク・ベイリー」のライナー・ノート800字を書く。

このアルバムは、1978年にギタリストのデレク・ベイリーが来日した時に、日本のフリージャズ・ミュージシャンたちと共演した完全即興アルバム。

ぼくがプロデューサーとしてクレジットされ、伝説のアルト・サックス奏者阿部薫も参加している。恥ずかしながら、そのライナー・ノートをご披露しよう。

間章さんと、このアルバム。

間章さんと初めてお会いしたのは1972年7月15日、場所は青山の草月会館。

この日ぼくは、最近CD化された「タージ・マハル旅行団1972年7月15日」の録音現場にいた。

当時、ハード・メイカーの肝いりで大宣伝された4チャンネル・ステレオに相応しい素材として、タージ・マハル旅行団の録音を友人のディレクターに薦めたぼくの名目はアシスタント・ディレクターだった。
その会場で紹介されたのが、夏だというのに全身黒ずくめ、まるでテディ・ベアのようなスタイルのフリー・ジャズ批評家の間さんだった。
「君も立教で辻邦夫先生に習っていたのか。じゃ、ぼくの後輩だね」と嬉しそうな声色が、過激な文章に似合わず、弱々しく可愛らしかったのが初対面の印象だ。
それ以来、現代音楽、フリー・ジャズ、前衛映画、現代短歌、近代哲学など、その時代に闊歩した前衛の多くを間さんから浴びせられた。
その、間さんから持ちかけられた最初のレコーディングが1977年のミルフォード・グレイブスと、78年のデレク・ベイリー来日時に録音された本アルバムだ。
極端に低予算の制作コストとは言え、全く採算がとれる見込みのないこの企画を、キティ・レコードの多賀社長は、僕には分からないけど、君がそんなに好きならやってみればいいじゃないか、お金もたいしてかからないんだから、と、即座にOKしてくれた。
スタジオ内で、とても静かな佇まいでギターをつま弾くデレク・ベイリーの演奏は、フリー・ジャズという狭い範疇で括れる音楽ではなかった。
すべての制約を退けた完璧な即興演奏に、ぼくらスタッフも共演者も、深く静かに圧倒されるしかなかった。
このアルバムが発売されて間もない12月12日の夜。「今、病院で間さんが亡くなりました」との連絡を受け、すぐさま病院に駆けつけ、死に水を間さんの唇に含ませたことが、つい先日のことのように思える。

デレク・ベイリーの音楽を人に伝えるのに、とても相応しいエピソードがある。

来日時のコンサートにキティレコードの上司を誘って、見に行った時のことだ。

ステージを目の当たりにして、上司がそっとぼくの耳元に囁いた。随分チューニングが長いね。その時既にデレク・べイリーの演奏が始まって10分はたっていた。

デレク・ベイリーの演奏を毎日聞きたくはないけれど、よ〜し今日は聞くぞ!と、スピーカーに対峙して聞く音楽もたまには必要だ。

ってなことで、本日は店仕舞い。
また、明日。

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阿部薫

本日の収穫
・CD『Chicago Transit Authority』(RHINO)

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