万歩計日和
文/写真・mizugame
今日の写真
本日のワンちゃん。
18.03.07(水)
春樹と賢治と倍音が三つ巴の螺旋となって・・・。 (11,142歩)

起床04:30 体温36.3℃ 体重未計測。

今日は朝から快調!


4時半にパチっと目が覚め眠気を全く感じない。


プチ瞑想やくねくね体操や腕振り体操などの日課をさらっとこなしてベッドで読書を始めたらいいフレーズに出会った。


奇妙なことですが、私たちが他人がどんな人間であるかを判断するのは、その人がぺらぺらしゃべることによってではなく、その人が何について語らないか、どのような話題を神経症的に忌避するかなのです。
『もういちど村上春樹にご用心』 内田樹著より。


大昔に読んだ蜷川幸雄さんの「その人が喜ぶことよりも何を恥ずかしがっているかでその人間を見定めることが出来る」というフレーズを思い出す。


このところ大いに気になっている宮沢賢治を読んでいると無性に村上春樹が読みたくなってきた。


デビュー作の『風の歌を聴け』には大感動したもののその後全く興味を失っていた村上春樹の『ダンス ダンス ダンス』を読み始めたらデビュー作以降全く受け付けなかった村上節がすいすい体に入ってくる。


面白くて止まらない。


この面白さはまるでソニー・ロリンズだ。


あることがきっかけとなって全く今まで興味を持てなかったモノ、人、出来事と出会うことがある。


とりたてて読書が好きではなかったぼくを本好きに変えたのが高校一年の夏休みの国語の宿題。


川端康成著『雪国』、ドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』、夏目漱石著『それから』。


どれか一冊読んで感想文を書きなさいという宿題だ。


本を読み慣れていなかったぼくは書店で一番薄い『雪国』を選んだ。


あっという間に読めたものの全く面白くないので感想文が書けない。


再び書店へ。


書架に並ぶ『カラマーゾフの兄弟』の分厚さに恐れをなして残る『それから』を選ぶしかなかった。


『それから』の何にそれほど感激したのかは今や思い出せないけれど一気に小説の面白さにハマってしまったことだけは確かだ。


その後夏目漱石全集を読み終え、漱石が影響を受けたドストエフスキーの主要作品を読み、世界文学全集を片っ端から読む文学少年と化した。


ちなみに日本人作家で興味を持ったのは開高健と大江健三郎だけ。


熱病のように浮かされた純文学青年をエンタテイメント志向に急カーブさせたのが野坂昭如の『エロ事師たち』、北杜夫の『楡家の人びと』、そしてもっとも衝撃を受けたのは『48億の妄想』『東海道戦争』『ベトナム観光公社』の筒井康隆の登場だ。


60年代後半から70年代初頭にかけてはSFとミステリと大正浪漫ばかり読みふけっていたが10年ほど前からノンフィクション、精神世界モノ、エコロジー関連、科学エッセイ中心に読書している。


何の気無しに先日図書館で借りた朗読のCD『セロ弾きのゴーシュ』に驚いて全く今まで何の興味も無かった宮沢賢治に出会ってしまった。


さっそく本も読んだ。


町の活動写真館でセロを弾くゴーシュ(あんまり上手ではないという評判の)が夜中に一人で練習していると連日色んな動物たちがゴーシュに楽器を弾いてくれと訪れる。


ぼくがビックリしたのはこの部分だ。


(この夜は野ねずみの親子が現れる)

「先生、この児があんばいがわるくて死にそうでございますが先生お慈悲になおしてやってくださいまし。」


「おれが医者などやれるもんか。」ゴーシュはすこしむっとして云いました。」すると野ねずみのお母さんは下を向いてしばらくだまっていましたがまた思い切ったように云いました。


「先生、それはうそでございます。先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなおしておいでになるではありませんか。」


「何のことだかわからんね。」


「だって先生のおかげで、兎さんのおばあさんもなおりましたし狸のお父さんもなおりましたしあんな意地悪のみみずくまでなおしていただいたのにこの子ばかりお助けいただけないとはあんまり情けないことでございます。」


-中略-


「はい、ここらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはいって療すのでございます。」


「すると療るのか。」


「はい。からだ中とても血のまわりがよくなって大変いい気持ちですぐに療る方もあればうちへ帰ってから病気が療る方もあります。」


「ああそうか。おれのセロの音がごうごうひびくと、それがあんまの代わりになっておまえたちの病気がなおるというのか。よし。わかったよ。やってやろう。」ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合わせてそれからいきなりねずみのこどもをつまんでセロの孔から中へ入れてしまいました。



この作品は1934年に発売されている。


宮澤賢治は熱狂的音楽愛好家でオルガンやチェロを弾くということはその後本で読んだけれど、84年も前に振動音響療法のことを書いている!


村上春樹言うところの「小説にとって意味性というのはそんなに重要なものじゃないんですよ。大事なのは、意味性と意味性がどのように呼応し合うかということなんです。音楽でいう「倍音」みたいなもので、その倍音は人間の耳には聞き取れないんだけど、何倍音までそこに込められているかということは、音楽の深さにとってものすごく大事なことなんです」ということの理解のとば口に今立たされているような気がする。


それに何よりも村上春樹の小説をこれから楽しめるのは嬉しい。


今朝嬉しかったことの締めは土曜日に平塚駅に置き忘れた財布が見つかったと平塚警察から電話があったことだ。


現金2,000円は抜きとられていたけれど免許証と銀行のキャッシュカードと国常立大神(くにとこたちのおおかみ)のお守りが戻ってきた。  


2,000円は警察に届けてくれた謝礼ってことかな。


ってなところで、本日は店じまい。
また、明日。


本日のキーワード
・『セロ弾きのゴーシュ』

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