万歩計日和
文/写真・mizugame
今日の写真
本日のノラちゃん。
18.10.03(水)
いくらなんでも早すぎる死!(11,668歩)  

起床05:05 体温36.4℃(07:00) 体重54.6Kg。

プチ激動の連続とはいえ今までの人生でそれほど多くの衝撃には出会わなかった。


とは言え逝去する一年前に初来日したジョン・コルトレーンの日本公演とかピンク・フロイドの箱根アフロディーテでのライブ。ワタシが原稿が書けたと耳にしたら連絡ちょうだいねと言われて何年も待ち続けた挙げ句ある日この世から消えてしまった開高健など。生涯忘れられない一瞬というのはそれなりにある。


48年前。


レコード会社の洋楽ディレクター1年生の時。


国内制作のディレクターと違って洋楽のディレクターは担当するアーティストとの距離が果てしなく遠い。


彼もしくは彼女もしくは彼らは今頃何をしているのだろう?


いつになったら新作レコードを発売してくれるのか?


おいしそうな餌を前に伏せをしている飼い犬のような時間を過ごしている。


アメリカからの最新情報はただ一つ。


テレックス。


電話回線を使ったテレタイプだ。


アメリカでタイプライターを打つと電話回線を通じてこちらで印字する。


もう一つ重要な情報源は1枚のレコードの制作段階が記されたレーベルコピー。


誰々がレコーディングを始めた。


プロデューサーは誰々だ。


こんな曲をレコーデイングしたなどなど。


毎週アメリカからレーベルコピーの束が送られてきた。


その中から自分が関係しているアーティストのレーベルコピーを見つけて制作進行状況を知る。


回を増すごとにつけ加えられた新しい情報にドキドキしながら新作の出来上がりを想像する。


前年にバンドを解散した彼女が新しいバンドづくりに燃えているという噂ばなしは聞いていた。


1970年6月12日。


彼女にとって生涯最高のグループ、フル・ティルト・ブギーのアメリカでのお披露目ライブはケンタッキー州ルイヴィルのフリーダムホールで開催された。


ステージから飛び降りて聴衆と踊る彼女に4,000人の観客は熱狂し、ガードマンは警棒を振り上げ、マネージャーが客席の電気を点けて観客を鎮めようとしたものの逆効果。


会場は熱気と興奮で沸き返る凄まじいコンサートだったと伝えられた。


二ヶ月後の8月12日。


新バンドはハーヴァード・スタジアムで40,000人の観客を前にライブを行いレコーディングの準備に入った。


順調にすすんでいたレコーディングの完成間近の10月4日。


レコーディングのために宿泊していたハリウッドのラウンドマーク・モーター・ホテルの一室。


短いガウンを羽織った彼女は片手に4ドル50セントを握りしめベッドとナイト・スタンドの間にはさまるように横たわって死んでいた。


ベッドの脇には封の切られていないタバコが一つ落ちていた。


ジャニス・ジョプリン享年27歳。


当初死因は不明とされていたが純度の高いヘロインの過剰摂取による事故死とされた。


事件が起きてから9日後カリフォルニア州マリン郡スティンソン海岸沖の重空から太平洋へ散骨された。


1967年6月18日モントレー・ポップ・フェスティバルに出演して全米に名を知られて一夜のうちにロック・クイーンの座を独り占めにしてから3年3ヶ月後のことだ。


ジャニスの遺作にして最高傑作『パール』に収録された「ベンツが欲しい」はバンド演奏を加えずアカペラのままで、「生きながらブルースに葬られ」は彼女のヴォーカルなしのインストルメンタルが収録されている。


明日10月4日はジャニスの命日。


5日金曜日夜7時から大磯のすとれんじふるうつで"大音量で音楽を聴く会"がある。


「サマータイム」と「ミー・アンド・ボビーマギー」を持っていこう。


ってなところで、本日は店じまい。
また、明日


本日のキーワード
・ジャニス・ジョプリン




・大磯すとれんじふるうつ

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