万歩計日和
文/写真・mizugame
今日の写真
いつかyutubeにこの映画アップするぞ〜。
19.05.19(日)
ビートルズが消えて世界が真っ暗になった悲しい話を・・・。(0歩)  

起床05:20 体温36.5℃(10:20) 体重52.0Kg。

有り難いな〜。


本日7件目のAmazonカスタマーレビューを頂きました。


2019年5月19日
X-pert Watcher ☆☆☆☆☆
「いい時代」は磯田さんのような人たちが作ってたんだなぁ・・・

60年代から70年代、ひとことでいい時代だったなぁ、と思ってしまうのだけれど、背景には磯田さんのような人たちのアイディアと行動力があったことは再認識・再評価されるべき。面白い読み物、という以上に刺激的であり、幅広い交流範囲によって次から次へと興味深い「冒険」を続けることになるあたりが興味深い。


X-pert Watcherさんへ。


お楽しみはこれからだ!ということで面白い時代をみんなで創りましょう。


磯田先輩。連絡遅くなりました。
Kindleは3台目です。海外出張が多かったので電子書籍は便利でした。そのおかげで韓国の新しい電子書籍の手伝いをしたりしました。磯田先輩の本を読んで、いろいろかすっていて面白かったです。


と始まり、その後に横尾忠則さん、綾辻行人さん、大久保賢一さんと色々と彼もお仕事のお付き合いがあったというメッセを頂きました。


ここ2,3年少女歌劇団設立に奔走しているマルチクリエイターの広井王子さん。


なんで書き出しが磯田先輩かというと立教大学映画制作会(セントポール・プロダクション)の後輩なんです。


ぼくが属していたセントポール・プロダクションは単なる酒飲みの集まりだったけれど後々立教ヌーベルバーグと騒がれたほど多くの映画人を生み出した。


 1966年6月30日。立教大学映画制作会(セントポール・プロダクション)の総勢数十名は夜行列車で徳島県阿南市の沖合にある伊島に向かっていた。

 この日付を見てピンとくるのはモノホンのビートルズ・フリーク。ビートルズ来日公演の初日だ。そんな日に合宿に向かうなよ、責任者出てこい! と今でも声を大にして叫びたい気持ちは変わらない。

 武道館でビートルズを見てから駆けつけても夜行列車に間にあったかもしれないが新入生のぼくにはそれを先輩に言い出す勇気がなかった。

 手に入れた武道館のチケットは泣く泣く諦めざるを得なかった。

 四国本土最東端の蒲生田岬よりさらに東へ6キロ海上にうかぶ伊島にはフェリーで30分。ビートルズの来日も遅らせた猛烈な台風が荒れ狂う海上。定員をはるかに超えた人数で小さなフェリーに乗りこんだぼくたちには永遠に続くかに思えた地獄の船旅だった。

 船を飲み込みかねない激しい荒波にもまれ、みんなの胃の中がからっぽになったころ伊島に到着。恐怖と船酔いでぐったりしながらぼくたち新入生は強風で横なぐりの雨が吹き荒れる中、桟橋から宿泊所まで全身ずぶ濡れになりながら撮影機材を駆け足で運び込んだ。

 たかが8ミリの撮影だというのに形にこだわる先輩たちは膨大な機材を用意した。運搬するのはもちろん一年生。何でレフ板なんか何枚も東京から持っていくのよ。誰だよこんな絶海の孤島でドキュメンタリーを制作しようと言い出したのは。新入生たちの心の中では不満が渦巻いていた。

 宿舎の船宿で一風呂浴びてようやく一段落して気持ちが落ち着いたころ、テレビでビートルズの日本公演の放送が始まった(テレビ放映は7月1日、伊島到着の日だった)。

 お~~~。ぼくたち1年生数人がテレビの画面に釘付けになったそのとき。

 「お~い、何やってんだお前たちは~」

 悪魔の声が聞こえた。

-『きっかけ屋アナーキー伝』世界で一番悲しいビートルズについての思い出の章より-

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ってなところで、本日は店じまい。
また、明日。


本日の見聞録

◯[読了]『がいなもん 松浦武四郎一代』河治和香著(小学館)




◯[読了]『古賀史健がまとめた糸井重里のこと』糸井重里・古賀史健著(ほぼ日)

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